まばたきのような一瞬の連なり

梓の本

年が明けてひと月が経ちましたが、まだどこか「令和4年」という響きに慣れない今日この頃です。この時期の常として朝夕寒い日が続いていますが、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。

私は毎年、読書仲間と忘年会をしています。そこで、お互いその年に読んだ本のベストを語り合うのです。
そんな去年の忘年会で、驚くことがありました。友人の一人が、梓書院の本をその年のベスト3のうちの1冊に挙げていたのです。私は彼女に出版社に就職したと言っていたものの、「梓書院」という社名は伝えていなかったので、本当に驚きました。

彼女が挙げていたのは2018年10月に刊行された『陽光』でした。私が梓書院に入社する前に刊行された本です。私はさっそく、少しずつこの本を読みはじめました。
舞台は長崎県壱岐の島。医者の家系に生まれついた一人の男性は、島の風景とみずからの血縁たちの思い出をぼつりぼつりと思い出し、またたどっていきます。語りはいつしか彼を離れ、人々の声、その土地の声となってあちこちで様々な時間が重なり合っていきます。

祖父の記憶にはじまり、大伯母、親族のお葬式に来ていた紳士、祖父の代に病院に勤めていた看護師……と時間はひろがり世代を越え、それはかつての戦争の記憶から、フィリピンから島に嫁いできた現代の女性へも続いていきます。
理不尽で不可解な記憶、閉鎖的な島の人間関係や戦時中の記憶などが混ざり合い、それらの声はそれぞれの一生や半生を訥々と語ります。時にそれは痛みをともない、あるいはあきらめにも似た色合いを帯びますが、それでも日常はごくごく普通に続いていくのです。

作中で語り手の「私」は、ある文筆家に「細部を書きなさい」と言われています。
「細部を書きなさい。あなた自身は隠れていていいから。島の細部を書けば良い」
では、細部が集まると、それはいったい何になるのでしょうか。この本に収録されている短編は、短いものでは4ページしかありません。全形およそ17kmの島での、まばたきのような人々の一生。しかしその連なりは、誰もが何らの語るべき物語を持っていることを読む者に伝えます。

博多から壱岐の島までは、フェリーで二時間半、とこの本に書いてありました。
コロナウイルスの感染が収束したら、ぜひ壱岐の島まで足を運んでみたいな、と思っています。

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