掩体壕を残すまちの人々から

梓の本

今年もあっという間に6月となりました。2023年がもう半分過ぎようとしていることに、驚くばかりです。九州も梅雨入りし、雨が続いている今日この頃ですが、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。

 

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さて、私は先月、大分県の宇佐市を訪れました。

宇佐の戦争遺構を巡るイベント「宇佐航空隊平和ウォーク」に参加するのが目的です。

「第18回宇佐航空隊平和ウォーク」が開催されました|宇佐市
 5月18日(土曜日)、豊の国宇佐市塾主催の市内に残る様々な戦争遺構を巡るイベント「第18回宇佐航空隊平和ウォーク」が開催されました。今回は戦争遺構に立ち止まりガイドの案内で巡る約6kmの「散策コース」と長距離のウォーキングで完走を目指す約10kmの「完歩コース」が用意され、 約250名の参...

 

大分県宇佐市は、戦時中に海軍航空隊があり、また多くの空襲を受けた土地です。この地から神風特別攻撃隊も出撃し、154人もの人が戦死しています。

宇佐市はそんな戦争の歴史を今に伝えるため、掩体壕(軍用機を敵の空襲から守るための防空壕)をはじめする航空隊の遺構や空襲の跡を積極的に保存しているのです。そして、平和ウォークはこれらの戦争遺構を歩いてめぐるという行事です。

 

平和ウォークを主催されているのは、豊の国宇佐市塾の皆さん。そして、こちらの団体の代表をされているのが、弊社から『掩体壕を残すまちから』を刊行された平田崇英さんです(上記写真)。

掩体壕を残すまちから 宇佐海軍航空隊を訪ねて 平田 崇英(著/文) - 梓書院
私たちのまちも戦場だった── 大分県宇佐市のこれまでとこれから 戦時中、大分県宇佐市には宇佐海軍航空隊があった。この航空隊は真珠湾攻撃の搭乗員の養成を担うなど、「艦爆、艦攻のメッカ」として… - 引用:版元ドットコム

 

当日は暑すぎず寒すぎず、ちょうどよい具合の曇り空で、集合場所の柳ヶ浦高校にはすでにたくさんの人が集まっていました。集まった人々から、順次小グループで出発していきます。

宇佐市は麦の一大生産地。まさに「小麦色」に実った美しい麦の穂波を眺めながら、さぁ、平和ウォークの始まりです。

 

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慰霊碑、忠魂碑

 

 

 

 

 

 

 

機銃掃射の弾痕(柳ヶ浦小学校の壁)、B29による空襲跡(津島屋本家「総督」酒蔵跡)

 

 

 

 

 

 

 

蓮光寺の生き残り門(本堂、庫裡は全壊。この門のみ倒壊せず生き残った)

 

 

 

 

 

 

 

「宇佐空の郷」の入り口にある航空隊の正門門柱(複製。施設内に実物あり)

「宇佐空の郷」の中にある 『宇佐海軍航空隊の戦争遺構をめぐるマップ』

 

 

 

 

 

 

 

落下傘整備所と、その壁の弾痕

 

 

 

 

 

 

 

 

対弾式コンクリート造建物(宇佐海軍航空隊の受信所、あるいは排水所跡と考えられる場所)

爆弾池(空襲の爆弾により穴が空き、池のようになった場所)

 

 

 

 

 

 

 

 

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平和ウォークは約10kmという行程でしたが、みなさんと話しながら歩いていると、とても楽しくめぐることができました。

この平和ウォークは、今年で開催17回目だそうです。この日もたくさんの人が参加され、また遺構のガイドとして、行く先々で小学生の子供たちが解説をしてくれました。

 

私が実際にこのウォークに参加してもっとも感じたのは、戦争の歴史を伝えるという宇佐市のみなさんの強く優しい思いでした。

何事もそうかもしれませんが、やはりただ過ごしているだけだと、大切なことも忘れてしまうのだと思います。戦争は絶対にしてはならない。平和、そして人の命は何よりも尊い。一見当たり前のようですが、実際にこれを伝えるのは、とても難しいことだと思います。

けれど、誰かがこれを伝えていかなくてはいけない。でも、いったい誰が? どうやって?

戦争遺構の保存、正確な知識の蓄積、そして次の世代への継承……。宇佐市のみなさんの優しさとともに、私はその答えの一つを見せてもらったような気がしました。

 

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戦後も78年となり、戦争体験者はますます少なくなっていきます。世界情勢も不安定な今、私たちは何をするべきか?

私は「誰もが、特に子供たちが、平和について考えるきっかけ」がたくさんある社会になればいいな、と思います。

みなさんはどう思われますか?

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