『光る君へ』が描いた刀伊の入寇 平安時代最大の対外危機(2)

歴史ライター・豊田滋通
志賀島から見た能古島

目次

(2)古文書に残された史実

刀伊の正体は東女真族

刀伊の入寇は、平安時代末期の寛仁3(1019)年3月から4月にかけ、朝鮮半島から大船団で押し寄せた賊徒が、離島の長崎県対馬(つしま)や壱岐(いき)、玄界灘沿岸の博多周辺などに侵攻した事件。刀伊は高麗語で蛮人を意味する東夷に日本文字を当てたものともいわれ、その正体は朝鮮半島北方の旧満州に住んでいた東女真(じょしん)族である。ツングース系民族の女真(ジュルチン・ジュシェン)は、後代に中国本土に進出し、金(1115~1234年)や清(1636~1912年)などの王朝を樹立することになる。

刀伊の入寇は、平安時代では「最大の対外危機」とされ、歴史教科書にも必ず載ってはいるが、鎌倉時代の元寇(1274年の文永の役・1281年の弘安の役)に比べて認知度は極端に低く、直接侵攻を受けた北部九州の住民でさえ「トイって何?」という反応が大半。歴史ドラマで本格的に取り上げられたのも、おそらく『光る君へ』が初めてで、長崎や福岡の県民もあらためて平安時代の重大事件を知ったという人が多かっただろう。

そこで、ドラマの登場人物の一人、大納言・藤原実資(ふじわらのさねすけ)=ドラマでは秋山竜次が好演=が残した日記『小右記(しょうゆうき)』などの史料をもとに、まず事件の概要をたどってみたい。

都へ第1報は10日がかり

小右記は、実資が21歳だった貞元2(977)年から84歳の長久元(1040)年まで、63年間に及ぶ日記。有職故実に詳しい学識者とされた実資だけに、当時の政務や宮中の儀式などが詳細に記録されているという。

刀伊の入寇に関する記事が登場するのは、太政大臣・摂政にまで昇りつめた道長が病を得て出家(寛仁3年3月21日)した直後の4月17日付である。戌(いぬ)の刻(午後7~9時ごろ)、惟円師が持ってきた大宰権帥(だざいのごんのそち)・藤原隆家(ドラマでは竜星涼が熱演)の4月7日付書状を記載している。その第1報の内容は以下のようなものだった。

刀伊国の者が五十余艘で対馬に来着し、殺人や放火を行っています。要害を警護し、兵船を遣わします。大宰府(だざいふ)は飛駅言上します。

これによると、大宰府からの急報が、官道の駅家(うまや)を早馬で乗り継いで京の都まで10日かかったことがわかる。これが、当時最速の「通信メディア」だったのだろう。

狙いは「働き手」の拉致連行

「刀伊の入寇」関連地図

小右記には、その後の続報も記載されているが、諸史料をもとに事件発生から終息までを要約すると以下のとおりである。

3月28日 刀伊人が対馬に侵入。働き手となりそうな男女を中心に地元住民を拉致し、牛馬を食料として食べた。賊徒は老人、子どもは容赦なく斬り捨てたといわれ、捕虜をとらえるのが主目的だったともされる。その後、刀伊は壱岐島を襲い、壱岐守・藤原理忠(まさただ)らが防戦に当たったが理忠は討ち死にした。

4月7日 壱岐島から逃げた常覚(じょうがく)という僧侶が大宰府にたどり着いて惨状を報告。賊徒は、既に筑前国怡土(いと)郡の海岸に襲来し、志摩(しま)郡や早良(さわら)郡の一帯でも略奪を続けた。

4月8日 賊徒は、那珂(なか)郡能古島(のこじま・のこのしま)に移って博多に迫った。隆家率いる大宰府の軍勢は博多の警護所を拠点として防戦。9日にかけて博多津(はかたのつ)周辺で激戦となった。1艘の船に50~60人も乗る刀伊は、集団戦で攻め立てた。人ごとに盾を持ち、前陣は鉾(ほこ)、次陣は大刀(たち)で戦い、長さ1尺余りの短く猛威をふるう弓矢を使った。しかし、平為賢(たいらのためかた)ら大宰府勢が鏑矢(かぶらや)を撃つと、賊はその音に脅えて逃げたという。賊船の中には、拉致された対馬・壱岐の島人のほか高麗国人もいた。賊徒は強い抵抗に耐え切れず、能古島に引き上げた。その後、2日間は風波が強く、双方とも攻めあぐねた。

4月11日 賊徒は早良郡から志摩郡船越津(ふなこしのつ)へと移り、大宰府側は12日にかけ兵船38艘で精兵を送り込んで撃退した。

4月13日 賊徒は、肥前国(ひぜんのくに)松浦郡でも地元の軍勢から激しい攻撃を受け、九州をあとに遁走した。

以上が、刀伊の襲来から撃退までのあらすじだが、大宰権帥・隆家の第1報が都に届いた4月17日には、既に事態は終息していたことが分かる。小右記によると、この間に筑前(志摩・怡土・早良3郡と能古島)の被害は、殺害された者189人、連れ去られた者696人、牛馬200頭だったという。

(3)ドラマでたどる事件の現場に続く

(歴史ライター・豊田滋通)


【筆者略歴】
豊田滋通(とよた・しげみち)
1953年・福岡市生まれ。1975年に西日本新聞社に入社、主に行政・政治分野を担当。東京支社編集長、論説委員長、監査役などを歴任。2018年から季刊「邪馬台国」などを発行する福岡市の出版社「梓書院」のエグゼクティブアドバイザー/ライター。西日本新聞書評欄で歴史・古代史関係書籍の書評を担当中。著書に『よもやま邪馬台国~邪馬台国からはじめる教養としての古代史入門』(2023年・梓書院刊)など。日本メディア学会会員。

【主な参考文献】
小右記(藤原実資・倉本一宏編・角川文庫)
古代の大宰府(倉住靖彦著・吉川弘文館)
遠の朝廷 大宰府(杉原敏之著・新泉社シリーズ「遺跡を学ぶ」)
武者から武士へ~兵乱が生んだ新社会集団(森公章著・吉川弘文館)
福岡歴史探訪西区編(柳猛直著・海鳥社)
福岡県史第1巻上冊(昭和37年)
太宰府小史(西高辻信貞編著・葦書房)
福岡県地名考~市町村名の由来・語源(梅林孝雄著・海鳥社)
悠久の歴史と万葉のロマン志賀島・西戸崎(東区歴史ガイドボランティア連絡会編・福岡市東区総務部生涯学習推進課)
地形と歴史から探る福岡(石村智著・MdN新書)
角川日本地名大辞典40福岡県(KADOKAWA)

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