ムラからクニへの狭間で

書評

みなさんこんにちは。前田です。
前回のブログでご紹介した吉野ヶ里遺跡30周年記念展はご覧になられましたか?

2月8日に開催された記念シンポジウムも大変濃ゆい内容でしたが、次号の『季刊邪馬台国』内でも、吉野ヶ里遺跡30周年記念小特集を掲載しようと考えておりますので、どうぞお楽しみに。

さて、そんなわけで今回は古代史関連の本のご紹介です。
本当は前回のブログ更新時にご紹介しようと思ってたのですが、本文が長くなったので分けることにしました。

吉野ヶ里展を見ていてあらためて思いましたが、農耕社会の発展、ムラからクニへの変遷は、古代における「戦いの歴史」を物語っているようにも思えます。

松木武彦著『人はなぜ戦うのか 考古学からみた戦争』(2017年、中公文庫)

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有史以来、世界各地で幾度となく繰り返されてきた戦争。平和を願う思いは募れど、いま現在もまだ、残念なことに戦争はなくなっていない。そしてその火種もまた、くすぶり続けている。
人はなぜ争うのか。本書では、「戦争発動のメカニズム」を考古学の見地から探っている。個人間の闘争ではなく、あくまで「集団間の争い」は、どのようにはじまり、発展し、なにをもたらしてきたのか。
狩猟採集中心の生活だった縄文人に稲作農耕がもたらされ、その広がりと共に富の集中がはじまり、争いが起こるようになった。学校の教科書では概ねそのような説明がなされていたように思う。
農耕社会への移行と共に戦争、つまり「集団間の争い」が全国的に広がっていったのは紛れもない事実である。しかし、稲作のはじまりと富の集中が戦争を引き起こした、と言ってしまうのはあまりに短絡的すぎるだろう。
戦争は「誰が」起こしたのか。なぜ争わなければならなかったのか。戦争の発動には、経済的要因、思想的要因が大きく関わるが、最期の引き金となるのは、その民族、国家が歴史的に戦争とどう向き合ってきたのか、支配者と民衆のかかわり方など、その国で育まれた「戦争観」とも言えるだろう。
古代日本の戦争の形跡を読み解いていくと、戦争の「はじまり」と実態、そして日本の特異な軍事的特徴と争いに対する考え方も見えてくる。本書を読めば、あなたの「戦争観」も変わるかもしれない。

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