コロナ太りVSコロナ痩せ

書評

この度、梓書院がある福岡県でも2度目の緊急事態宣言が発令された。
その是非や内容についてはここでは語らないが、前回の緊急事態宣言中に起こった変化について触れてみようと思う。

その変化とは、ズバリ「コロナ痩せ」。

「自粛期間中に太ってしまった…」という声はよく聞いたような気もするが、一方で自粛期間中に痩せた人も一定層おられるだろう。かく言う私も、自粛期間中に痩せた一人。
理屈はまるで単純で、普段は会合や友人との飲み会で外食が多かったが、自粛期間中はそれらがまったくなくなったから。
そもそも、太る・痩せるを司っているのは「①運動」「②食事」である。
(あと休息も大事ですが)

普段から、飲んで帰らない限り、
①家に帰ったら必ず運動をする習慣があり、
②晩御飯は栄養価を考えて自炊している、
ものだから、飲み事がなくなれば、自動的にすこぶる健康的な日々がやってくるのである。
おまけに、お酒は大好きだが、家では毎日飲まなくても大丈夫なので、飲酒も週1回程度。
肝臓と腎臓にもやさしい日々が続いていたのだ。

そんなわけで前回の自粛期間中は、長年、酷使し続けた身体を休めるよい機会にはなったのだが、やはり人と会えない、遊びに行けない、飲みに行けない日々は堪えるもの。
今回の自粛期間も、お腹をへこませながら、コロナ終息後の楽しみに胸を膨らませていこうと思う次第である。

さて、そんなわけで今回は「身体」に関する本をご紹介。

内田樹『日本の身体』(2014年、新潮社)

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「武芸」と「スポーツ」の違いとは何だろうか。

それを礼儀作法という人もいるかもしれないが、それは後付けで表層的な違いでしかないだろう。その本質には、身体感覚、そして身体に対する考え方の違いがあるのだと思う。

本書は、学者でありながら能楽や合気を嗜み、身体感覚や身体技法について考察を重ねている内田樹氏が、十二名の達人たちとの対談を通して、失われた「日本的」な身体感覚、そしてそれに基づく身体技法を探るというものだ。対談する達人たちは、茶道家、能楽師、文楽人形遣い、漫画家、合気道家、治療者、女流義太夫、尺八奏者、雅楽演奏家、元大相撲力士、マタギ、ラガーマンと、実に多彩である。

私も現代日本人と、中世~江戸期の日本人たちでは、身体感覚、身体運用法はまったく異質なものなのかと実感させられた経験がある。それは以前、名古屋にある熱田神宮の宝物館を訪れたときのことだった。宝物館に入ってすぐ目についたのは、あまりにも巨大すぎる大太刀。その長さは2メートルを優に超えていた。そんな大物の太刀を、現在の日本人の平均身長より、ずいぶんと小柄だったはずの中世日本人がふるっていたのかと思うと、身震いがする。

ともあれ、身体とは、最も身近で、最も深淵な宇宙のように思える。身体はあらゆる信号を受信するアンテナであり、同時にあらゆる信号の発信装置でもある。その感度をどれだけ高められるか。それが武芸を嗜むひとつの目的なのではないだろうか。身体感覚の豊かさはそのまま、心の豊かさでもあるのだから。

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