大博通り界隈「中世博多のチャイナタウン」

チュータローとたどる 福岡・博多「2000年の道」
写真=臨済宗の名刹・承天寺。方丈の前に広がる石庭は、玄界灘の大海原を模して「洗濤庭(せんとうてい)」と名付けられている。

チュータローとたどる福岡・博多「2000年の道」

Season1~大博通り界隈

Act2~中世博多のチャイナタウン

日本国内で代表的なチャイナタウンといえば、横浜、神戸、長崎…。中華街というのはどこかエキゾチックで、懐かしい。「♪サンフランシスコのチャイナタウン♫」なーんて歌もありましたなあ。えっ!猫のくせに何でそげな古い歌を知っとるのかって? そりゃ、あ~た~、まあいいじゃないですか。ところで、いにしえの博多にもチャイナタウンがあったって、知っとりますか?

「陥没」で蘇った砂丘の記憶

今を遡ること3年前、平成28(2016)年11月8日未明。福岡市博多区のJR博多駅前の市営地下鉄七隈線工事現場で、大規模な陥没事故が起こりました。その朝、テレビニュースを見た福岡市民は、まるで巨大隕石でも落下したかのように道路がごっそりとえぐられた大穴に仰天したとです。これこそ「ふてえがってえ!」ですよね(前回の解説参照)。
穴は縦横30㍍、深さ15㍍にもおよび、誰言うともなく付いた名前は「博多陥没」。原因は地下鉄工事のミスによる“人災”でした。しかし、わずか1週間でこの巨大穴を塞いだ日本の技術力に、海外メディアが驚嘆の声を挙げたという後日談もありましたねえ。

写真=JR博多駅ビルの屋上から見た発生当日の「博多陥没」(平成28年11月8日)

ところで、この事故であらためて話題になったのが、博多「旧市街」地区の地盤の脆さ。「博多陥没」でえぐれた地層を見ると、地下数㍍からはほとんど砂の層みたいでしたからね。実は、JR博多駅前から博多湾に向かって伸びる大博通り界隈は、一見、平坦に見えるんですが、微妙に隆起したり沈降しているところがあるんです。それがはっきりとわかるのは、上呉服町の裏通りあたり。道路が大きくアップダウンしているので、すぐにわかります。これは、いにしえの砂丘の名残です。

写真=道路が隆起と沈降のアップダウンを繰り返す「砂丘の痕跡」(福岡市博多区上呉服町)

貿易センターになった唐人街

福岡市史特別編「自然と遺跡からみた福岡の歴史」の「中世博多の地割りと地形変遷」(福岡市教委文化財部の大庭康時さん)によれば、現在の那珂川と石堂川に挟まれた博多旧市街地区の等高線図を調べてみると、JR博多駅側から博多湾側に向かって東西に走る3列の大きな「砂丘」の痕跡があるのだそうです。
その中の博多湾側に突き出たヒョウタンの頭のような1列目の砂丘地帯が、中世に息浜(おきのはま)と呼ばれたところ。細くくびれたヒョウタンの首のあたりが現在の上呉服町界隈で、周辺では砂丘の縁が崖状に落ち込んで潟湖(ラグーン)ができていたそうです。そして、海側から2列目と3列目の砂丘で構成されたヒョウタンの胴体部分が、当時の「博多」の中心。11世紀後半まで大宰府管下の公的貿易拠点だった鴻臚館(こうろかん=古代の迎賓館)がなくなり、新たな貿易センターとして登場したのがこの「博多津」でした。当時、日宋貿易を担っていた中国商人たちは、ここに居住し、「博多津唐房(とうぼう)」と呼ばれた日本で最初のチャイナタウンができて行ったというわけです。

「黄金の日々」の博多を掘る

中世・博多の全容は、昭和52(1977)年、福岡市営地下鉄1号線工事に伴って始まった博多遺跡群発掘調査で明らかになってきました。調査は、大博通り拡幅やビルの建て替え、地下鉄七隈線延伸工事などに伴って拡大し、現在も続行中です。
約40年間で調査地点は200箇所を越え、出土資料は30万点以上。時代でいえば、弥生時代の墓や集落から、豪商たちが大海を越えて雄飛した国際貿易都市・博多の「黄金の日々」まで。出土した遺構や国内外の陶磁器、貨幣、生活用品などの資料は、これまで古文書でしか知られていなかった博多の実像を次々に明らかにしていったのです。その膨大な出土品の中には、中国古陶磁の名品「梅瓶(めいぴん)」や完形の青白磁椀など美術的価値が高いものも多く、平成29(2017)年、このうち2138点が国の重要文化財に指定されました。

写真=博多遺跡群から出土した中国陶磁の名品、国指定重要文化財「梅瓶」(福岡市埋蔵文化センター所蔵、2018年「掘り出されたいにしえの博多」展から)

宋人綱首・謝国明の活躍

「博多津唐房」があった場所ははっきりしていませんが、これまでの発掘成果から「現在の(川端地区の)冷泉公園付近に港があり、そこから櫛田神社にかけての範囲にあったのではないか」(大庭康時さんの論文から)と推定されています。
そこで活躍していた宋商人(中国人商人)の中で、商人集団(綱=船団などの組織)を率いた首領が「綱首(こうしゅ)」。博多遺跡群からは「丁綱」などと墨書した土器が多数出土しており、丁淵、張寧らの宋人綱首がいたそうです。
中でも最も有名な綱首が、13世紀前半に活躍した謝国明(しゃこくめい=生没年不詳)。現在の櫛田神社付近に住み、日本人女性と結婚。宗像大社の社領小呂島(おろのしま)の地頭職も務め、玄界灘ににらみをきかせていました。筥崎宮の社領を購入・寄進して臨済宗の名刹・承天寺(じょうてんじ)の創建を財政的にバックアップした大檀越(だんおつ=施主)としても有名。日本に帰化し、謝太郎国明(しゃたろうくにあき)と名乗ったといわれています。

写真=臨済宗の名刹・承天寺。方丈の前に広がる石庭は、玄界灘の大海原を模して「洗濤庭(せんとうてい)」と名付けられている。

【チュータローの日記】大河ドラマの記憶

そういえば、21世紀に入って最初のNHK大河ドラマ「北条時宗」(2001年放送、和泉元彌主演)に、南宋出身の博多商人、謝国明が登場しておりましたよね。演じたのは、ソフトバンクのテレビCM「お父さん犬」の声でも人気の名優・北大路欣也さん。北大路さん扮する謝国明は、諸国見聞中の北条時頼・時宗父子と出会い、若き時宗に世界の広さを教え、蒙古襲来の折には和平を主張して台風に襲われた蒙古兵の救難を呼びかけるという大事な役どころでしたよね。
えっ!猫なのに何でそんな古いNHKドラマの話を知っているのかって?そりゃ、あ~た~、オカッパ頭のあの子が「永遠の5歳」なら、猫のわたくしは「永遠の3歳」ですから…。

写真=ご幼少のころ


【ガイド】大楠(おおくす)さま 福岡市博多区博多駅前1丁目25-14、承天寺東側の分境内、厄除けで有名な若八幡宮に近い出来町集会所の隣にある謝国明の墓所。クスノキの古木が謝国明の墓碑を包み込んで立っているといわれ、「大楠さま」と呼ばれています。謝国明は、博多が大飢饉の時、そば粉をこねた饅頭を作ってふるまい(運そばの起源)町民を飢餓から救った大恩人と慕われました。大楠さまでは、七百数十年経った今も毎年8月21日に千灯明祭(謝国明遺徳顕彰慰霊祭)が行われています。
写真=謝国明の墓碑を抱いているという伝承がある「大楠さま」)
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