豪商たちの栄華と悲劇

チュータローとたどる 福岡・博多「2000年の道」
「ういろう伝来之地」の碑(妙楽寺境内)

チュータローとたどる福岡・博多「2000年の道」

Season1~大博通り界隈 Act5~豪商たちの栄華と悲劇

シラク仏大統領、博多で禅問答

先月(2019年9月)下旬、フランスのジャック・シラク元大統領が86歳で亡くなり、国葬が行われました。2期12年間の在任中、核実験再開で国際的批判を浴びる一方、米国主導のイラク戦争に反対するなど、信念を貫く気骨の大統領として知られました。そのシラクさんが、大の日本通で、博多・大博通り界隈の寺町も訪れていたことを知っていますか。

わたくしチュータローは生まれていなかったので、もちろんアクビ先生の受け売りなんですが、国賓として来日したシラク大統領は平成8年11月22日、わざわざ九州まで足を運び、前回登場した日本最古の禅寺、聖福寺(福岡市博多区御供所町)を訪れました。出迎えた山岸善来老師に禅の境地を質し、話は「空(kou)」の解釈にまで及んだそうです。老師の案内で境内を見学した大統領は、梵鐘を撞いてみたり、仙厓さんの事跡を尋ねたり、好奇心全開。フランスの小旗を振って見送る幼稚園児に、「ドウモ、アリガトウッ」と日本語で投げキッスを送るなど、茶目っ気のあるところも見せました。

実は、このお忍び博多旅行のもう一つの目的は、開催中だった大相撲九州場所の観戦。大変な相撲ファンだった大統領は、自分の愛犬に「スモウ」という名前を付けるほどで、九州場所を楽しみにしていたそうです。

ところで、大統領と相撲といえば、ことし5月、令和最初の国賓として訪日した米国のトランプ大統領が、両国国技館で大相撲を観戦して話題になりましたよね。どうして話題になったかと言えば、何と升席に特設させた椅子に座って観戦し、優勝力士の朝乃山に米国大統領杯を授与する際、スリッパを履いて土俵に上がるなどの傍若無人の振る舞いをしたこと。米国のメディアからも、「トランプは多くの相撲の伝統を破った」と酷評されるお粗末さでした。

これに対し、40回以上も訪日したシラク大統領は、「取り組み前に、二人の力士がにらみ合う視線以上に強い眼差しを知らない」と、自らの回想録で大相撲の仕切りの美学を激賞したといいます。芸術や伝統を重んじるフランスと、何かにつけて合理主義的な米国とのお国柄の違いなのか。はたまた、二人の大統領の品格や人格の差なのか。

なにはともあれ、シラクさん、安らかにお眠り下さい。合掌!(って、猫は足の裏しかないしー、“合足”か?)

シラク元大統領の死去で、九州場所観戦(1996年11月)当時の写真を掲載した新聞

「ういろう伝来之地」の石碑

さて、前置きが長くなりましたが、本日のメーンテーマに移りましょう。

みなさんは、ういろう(外郎)っていうお菓子を食べたことがあるでしょう。名古屋や小田原、山口など、全国各地に特色のあるういろうがあり、形や色、原材料や味などが少しずつ違います。

このういろう発祥の本家本元とされているのが、博多の妙楽寺。大博通りの一筋東側、中世のころのメーンストリートに沿って、聖福寺と承天寺の中間あたり(博多区御供所町)にある臨済宗のお寺です。

妙楽寺境内には「ういろう伝来之地」という石碑が立っています。室町時代、中国の元の役所で礼部員外郎という役職についていた陳延祐(ちん・えんゆう)という人が、元の滅亡後に来日し、妙楽寺に寄宿して帰化。自ら「外郎」とも名乗った陳延祐の子の宗寿が、妙楽寺で寿香=別名・透頂香(とうちんこう)=をつくって評判になり、足利幕府に献上したというのが、ういろう誕生の物語です。当時は薬としても珍重され、歌舞伎十八番にも早口言葉でまくしたてる「外郎売(ういろううり)」という演目がありますよね。

「ういろう伝来之地」の碑(妙楽寺境内)

博多津のランドマーク「呑碧楼」

石城山・妙楽寺が創建されたのは、鎌倉時代末期の正和5(1316)年。当時は、博多津に突き出した息浜(おきのはま)の一角(明治期まで妙楽寺町と呼ばれた地域)にあり、黄金時代の博多の有力商人たちがパトロン(檀越)になっていたといいます。

その妙楽寺で、ひときわ目立っていた建物が、山門の呑碧楼(どんぺきろう)。博多湾を一望できる高楼で、景勝の素晴らしさは遠く中国や朝鮮にも伝わっていたとか。妙楽寺の由緒を書いた「石城遺寶」には、国内外の禅僧たちが呑碧楼を賞め讃えた歌や詩文などが、数多く掲載されています。

石城高く倚(よ)る翠雲端

 呑碧の層楼 宇宙寛し

地九州を縮めて五嶋に連なり

水百済(くだら)に通じて三韓を極む…

妙楽寺はその後、16世紀の大友・筑紫氏の争乱で消失しましたが、慶長年間に黒田長政の庇護で現在地に移転・再興されました。幻の呑碧楼が、もし今も残っていたとしたら…。福岡タワーに負けない、さても見事な博多の“ランドマーク”になっていたことでしょう。

臨済宗の古刹、石城山・妙楽禅寺(福岡市博多区御供所町)

博多・黄金時代の神屋宗湛

妙楽寺は博多商人の拠り所ともいえる寺だけに、境内の墓地には豪商たちのお墓もあります。その一つは、神屋宗湛(かみや・そうたん)のお墓。豊臣秀吉恩顧の島井宗室、徳川家康に重用された大賀宗九とともに「博多三傑」と呼ばれた豪商の一人で、秀吉が「博多の坊主」と呼んで特別に贔屓にした話は有名です。秀吉にとっては、悲願の朝鮮攻略を進めるため、宗湛をはじめとする博多商人の絶大な力が不可欠だったからです。

赤みがかった自然石の神屋宗湛の墓の近くには、同じく自然石の末次興善の墓もあります。平戸出身の博多の豪商・末次興善は、長崎市内に興善町という町名まで残したほどの実力者。その子が長崎代官にもなった末次平蔵です。

そしてもう一つ、忘れてはならないのが伊藤小左衛門の墓。今回のお話の最後の主人公で、「悲劇の豪商」とも呼ばれる人物です。

赤みがかった自然石が美しい神屋宗湛の墓(妙楽寺境内)

伊藤小左衛門

初代・伊藤小左衛門の出身地は定かではないのですが、遠賀川水運で開けた長崎街道の木屋瀬宿(筑前六宿の一つ)とする説があります。さらに、博多に近い青柳(糟屋郡)にも商売の拠点を置いていたようで、次第に商都博多の中枢に進出して行きました。

「悲劇の…」と言われるのは、二代目の伊藤小左衛門。17世紀の中頃、福岡藩の御用商人となり、博多と長崎を拠点に海外貿易で急速にのし上がった小左衛門でしたが、行く手には思わぬ落とし穴が待ち構えていました。

寛文2(1662)年から数年間、7回にわたって伊藤小左衛門を中心とする長崎、対馬、博多の商人たちが、朝鮮に武具等を売っていたとされる密貿易事件が発覚。検挙者は百人近くに及び、小左衛門ら5人が磔刑。他にも30人以上が斬首や獄門、50人近くが追放などの刑を受けました。博多浜口町の伊藤本邸では、小左衛門の嫡男・甚十郎と幼い弟の三男・小四郎(5歳)、四男・萬之助(3歳)も処刑されたのです。

しかし、この密貿易には黒田藩自体が絡んでいたという疑惑もあり、真相は今も「海の中」。幕藩体制の初期、中央集権を強めるため外様大名の海外貿易を強く警戒していた幕府にとって、武具の密貿易発覚は格好の攻撃材料。幕府へのメンツを立てるため、黒田藩としても極刑で対処せざるを得ず、小左衛門一族をはじめとする商人たちが生贄にされた…というのが博多っ子たちが代々語り継いできた「悲劇の物語」なのです。

伊藤小左衛門一族の墓(妙楽寺境内)

チュータローの日記~ナナコさんの悲劇

猫族は、種類によって姿形や毛色、目の色などさまざまですが、同じ種類でも性格や食べ物の好みなど、色んな違いがあります。言わば人格ならぬ、「猫格」でしょうか。

わが家の猫家族は、わたくしチュータロー(オス・3歳)とナナコさん(メス・13歳)、ミヨさん(メス・年齢不詳なるも12歳前後か)の3匹。みんな、元は捨て猫や野良猫ですが、それぞれ「猫格」は個性的です。吾輩は、アクビ先生が「おまえは山猫だっ!」と看破した通り、野性的ですばしっこい性格。ドアノブに飛びついて自分でドアを開けちゃうし、運動能力も抜群なんです。ミヨさんは、元は筋金入りの野良猫だけに喧嘩っ早く、負けん気が強いアネゴ肌。大好きなおやつのチ○ール(商品名ですから)をもらうときも、誰よりも早く一目散に駆けつけて来ます。

これに対し、ハチワレ頭のナナコさんはおっとりした性格。チ○ールをもらう時も、いつもドンケツで、アクビ先生は「出遅れナナコ」と呼んでいます。何をするにも不器用で、屋根を歩いていて足を踏み外し、軒下に落ちたこともありましたねえ。そんなナナコさんを悲劇が襲ったのは、アクビ先生の一家が東京に住んでいた8年ほど前のことだそうです。

ある朝、アクビ先生がナナコさんの顔を見ると、口が半開きで「オエー、オエーッ」と持ち前のダミ声で鳴きながら、舌を出し、よだれを垂らしていました。先生は「これはただ事じゃない。悪い病気ではないか」と驚愕したそうです。おっとり刀で獣医師に診てもらったところ、「牙を脱臼してますよねえ」という診断。よく見ると、左の牙(犬歯)が根元で折れ曲がり、口が塞がらなくなっていたんです。原因は不明ですが、走っているときに柱や家具などに顔面からぶつかって牙の根元が折れたようでした。

病院では全身麻酔をして折れた牙を抜いてもらい、ナナコさんはその後、片牙猫として普通に暮らしています。

さて余談ですが、猫の牙の名前も「犬歯」とはこれ如何に。誰か知ってますか?

夢見るナナコさん(♫パティ・ペイジの「テネシー・ワルツ」)

番外編“クータロー”の悲劇

ところで、9月には吾輩の身近でもうひとつ、猫の悲劇がありました。

ある朝、吾輩がアクビ先生と一緒に庭の散歩に出ようと玄関を開けたところ、子猫と目があって鉢合わせになりました。見れば、ガリガリにやせ細り、よろよろしてまともに歩けない様子。エアコンの室外機の下に逃げ込んだところを先生が捕まえ、取りあえずケージに収容して保護しました。突然の闖入者に、わたくしたち3匹の猫家族は大パニック。吾輩などは、居ても立ってもいられず、迷い猫がいる部屋の周りをウロウロ、ソワソワするばかり。

この猫は吾輩と同じキジトラのオスで、生後3~4カ月ぐらい。弱り切っていて、声も小さく、餌も少ししか食べられなかったようです。翌日、先生は奥さんと2人で動物病院に行き、注射や点滴をしてもらいました。おかげで少し元気になり、「ミャー」と可愛い声で鳴いたそうです。動物病院の先生は「野良猫の緊急処置だから」と、診察費を「ノラ割り」で安くしてくれました。

奥さんは「もっと元気になってふっくらしてきたら、譲渡会で引き取り手を探してみようかな」と言っていましたが、内心は「いざとなれば、もう一匹飼うしかないか~」と半ば覚悟を決めていたようです。アクビ先生の方は、「ナナコは7月に拾ったからナナコにしたけど、こいつは9月に来たからクータローというのはどうかなあ」などと、呑気に名前のことなどを考えていたそうです。

ところが、動物病院から帰った日の夕方、先生が自宅に帰ってみると、奥さんがボロボロ涙をこぼしながら泣いています。「猫が死んじゃったよう~」。夕方、奥さんが気づいたときには既に虫の息で、最後は奥さんに抱かれて「ハーッ」と何度か弱い息を吐きなが事切れたそうです。生まれて3~4カ月の間、炎暑の街を放浪しながら一人ぼっちでどんな暮らしをしてきたのか…。突然の訪問から急死まで、わずか2日間の出会いでしたが、最後は奥さんに看取られ、安心して天国に旅立ったことでしょう。

“クータロー”君よ、安らかにお眠り下さい、合掌!…じゃなくて“合足”か。

萬四郎神社(福岡市博多区下呉服町)

「伊藤小左衛門父子哀悼碑」(妙楽寺境内)


【ガイド】萬四郎神社 
伊藤小左衛門一家の悲劇のあと、博多の人々は幼い萬之助と小四郎兄弟の死を哀れんで、博多浜口町の伊藤家敷地内の稲荷社の跡に、二人の名をとって「萬四郎神社」を建てた。現在は、大博通り・蔵本交差点脇の浜口公園の前(博多区下呉服町=旧中浜口町)にあり、鳥居には「博多繁盛」とともに、子どもの安全祈願の神様として「子供息災」の文字が彫られている。道路を挟んだ浜口公園の正面には、豪商「島井宗室屋敷跡」の碑もある。
また妙楽寺境内には、処刑された伊藤小左衛門一族の墓のほか、初代小左衛門夫妻の墓、有志が建てた「伊藤小左衛門父子哀悼碑」もある。萬四郎神社へは、福岡市営地下鉄・呉服町駅、西鉄バス蔵本バス停などで下車。

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