大博通り界隈 「いにしえの博多は“ヒョウタン島”」

チュータローとたどる 福岡・博多「2000年の道」
写真=新時代の到来を祝う博多どんたく港まつりのパレード(同5月3日)

チュータローとたどる 福岡・博多「2000年の道」

Season1~大博通り界隈

Act1~いにしえの博多は“ヒョウタン島”

ふてえがってえナ、どうじゃろかい。令和元年初日の5月1日、福岡県太宰府市はてんやわんや。万葉集から令和が命名されたおかげで、大伴旅人と「梅花の宴」ゆかりの坂本八幡宮は終日押すな押すなの大行列でした。

写真=参拝者の大行列が続いた坂本八幡宮(令和元年5月1日)

ゴールデン・ウィークも、新天皇即位で10連休の大盤振る舞い。博多どんたく(5月3~4日)には全国一の200万人以上が詰めかけたとか。「祝(いよ)うた―っ!」というのが、どんたくで街を練り歩くときの掛け声。「どんたく」の名はオランダ語の「ゾンターク(休日・安息日)」が起源です。祭りの正式な名前は「博多どんたく港まつり」。つまり、古代からのウォーターフロント・博多を代表するお祭りなんです。

写真=新時代の到来を祝う博多どんたく港まつりのパレード(同5月3日)

ところで「ふてえがってえ」はどういう意味か知っとりますか?博多弁で驚いたときに「ああ、びっくりした!」という意味で発する言葉。「博多にわか」の最初に出て来る決まり文句やけど、今ではお年寄りもあまり使いませんねえ。

中世のメーンストリートは

さてさて、第1回目の「歴史の道」めぐりは、福岡市博多区のJR博多駅前からスタートしましょう。駅を背にして右の端、駅前から真っすぐ博多湾に伸びる道路が大博(たいはく)通りです。この通りを挟んだ左右の一帯が、「狭義の博多」。右手には承天寺(じょうてんじ)や聖福寺(しょうふくじ)など禅宗の古刹が並ぶ旧辻堂(つじのどう)・御供所(ごくしょ)町界隈があり、呉服町~蓮池(はすいけ)~大博町を経て博多港に向かいます。左手には、博多祇園山笠で有名な櫛田神社を中心とする祇園町・冷泉(れいせん)町があり、綱場(つなば)町~奈良屋町~神屋町を経て海に出ます。

大博通りの名前が付いたのは、1969年の福岡市制施行80周年記念の道路愛称事業。実は中世の博多のメーンストリートは、承天寺や聖福寺の前を通る道で、現在の大博通りのやや東側やったとです。

この整然とした碁盤の目状の町並みが整備されたのは、豊臣秀吉が九州征伐の総仕上げとして行った「太閤町割り」が起源。戦国時代、博多の街は相次ぐ戦乱で荒れ果てましたが、九州平定後、国際貿易都市・博多を重視した秀吉の手で「区画整理」が断行されたんです。そのときのメーンストリートが、現在の大博通りに当たります。

そこから時代を千数百年遡って、西暦57年。博多湾沿岸から福岡平野に至る地域を支配した奴国(なこく)王が中国に使いを送り、後漢の光武帝から金印(漢委奴國王(かんのわのなのこくおう)印)をもらったのが日中交渉史の始まり(『後漢書』東夷伝)。つまり、歴史的外交文書の記録に残るものだけでも福岡・博多の歴史は既に2000年近く。もちろん、福岡には縄文時代の遺跡も数多く点在しており、数千年以上の歴史があるというわけです。

時代とともに姿を変えた博多

この太古の時代の博多は、現在の博多湾に突き出た砂州のようなものだったとか。その後、12~13世紀の中世には、北側の砂丘の息浜(おきのはま)と南側の砂丘地帯がヒョウタンのような形でつながっていました。さらに16世紀後半ごろには、砂丘の南側に戦時防衛のための房州(ぼうしゅう)堀が築かれました。この結果、御笠川(石堂川)と那珂川に東西を挟まれ、周囲に湿地帯が広がった頭でっかちの「ヒョウタン島」のような地形が出来上がったそうです。このヒョウタンの底側に広がる地域が現在のJR博多駅前付近です。

これらのことは、昭和52(1977)年、福岡市営地下鉄建設工事に先行して始まった博多遺跡群の発掘調査でわかりました。その後、大博通りの拡幅やビルの建て替えに伴う緊急発掘調査なども続き、国際貿易都市・博多の全貌が次々に姿を現していったとです。その一連の調査で、玄界灘を越えて大陸に雄飛した初期博多商人たちの活躍を物語る遺構や遺物もたくさん見つかったんですが、そのお話はまた次回と致しましょう。

写真=発掘調査で明らかになった16世紀後半の博多の姿。図の上方が現在の博多湾、中央が大博通り、下端がJR博多駅付近(福岡市史などを参考に作図)

【チュータローの日記】ご先祖さまはヤマネコ?

ところで、飼い主のアクビ先生によると、吾輩はイエネコというより「ヤマネコみたい」なんだそうです。正しくはキジトラという毛柄の雑種ですが、イエネコの起源とされる北アフリカ原産のリビアヤマネコにそっくりだとか。太古の昔、貿易船の船乗りたちがネズミ駆除のためにリビアヤマネコを乗せて世界各地を周り、それがイエネコの起源になったといいます。ひょっとすると、ボクの先祖も船に乗って古代博多の湊にやって来たのかも。そう言えば、時々体の中でヤマネコの血が騒ぐような…。ア、ア、アクビ先生の手に噛みつきたい~~ガブッ!

写真=アクビ先生の手に噛みつくチュータロー


【ガイド】博多遺跡群の出土品は、福岡市博物館(早良区百道浜3-1-1、市営地下鉄藤崎駅下車)や福岡市埋蔵文化財センター(写真=博多区井相田2-1-94、西鉄バス・板付中学校前下車)などで見ることができます。
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