混沌・神秘・インド

書評

今年の夏もあっという間に終わってしまいました。海、すいか、花火、夏休み――。こう書き出すだけでも、夏は特別な季節だという感じがしますね。私はいつも夏らしいことをできないまま夏を終えている気がするのですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

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夏らしいことは全然できなかった私ですが、代わりに(?)今年の夏はなぜかインドの小説を立て続けに読みました。

弊社にて『陽光』を出版された松嶋圭先生は、2021年の太宰治賞で最終候補に残っています。その作品がインドを舞台とした小説『月をたれたる』です(筑摩書房より刊行の『太宰治賞2021』に収録されています)。

タイのバンコクにて声をかけられた〈僕〉は、モーハンというインド人男性に「インドで小説を書かないか?」と提案されます。聞けば、彼はインドの南東部トランクバルという町の出身で、ある人物を題材に文章を書いてほしいというのです。

不思議な縁に導かれるようにしてインドへ赴き、執筆を始める〈僕〉は、そこで様々な人々と巡り合い、彼らの人生に触れます。それはインドの濃密な土地の物語でもあり、時を超えた不思議な記憶の物語でもあり、そして海を越えたどり着いた数奇な物語のほんの終幕でもあり――。

断片的な物語たちは視点を変え声を変え、〈僕〉に様々な表情を見せて語りかけます。でも人が変わろうと土地が変わろうと、不思議に彼らが求めているものはみんな同じです。それは誰もが、自分の人生についての物語を探しているということ。

人はみずからの人生に物語性を求める。物語がなければただの存在だ。そして物語というものは、自分だけではつむげない。ほかの人から「君は大切な存在だ」と言われることでようやく物語が完成する。

――『月をたれたる』

点在するたくさんの人と、ふとした瞬間が交差し、それが書き留められることで、何かが生まれる。それらの一つ一つはつながりを持たない欠片だとしても、インドという大きな懐が、混沌は混沌のまま、すべてを包み込んでくれているような気がしました。

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続けて読んだ『真夜中の子供たち』(サルマン・ラシュディ)と『インド夜想曲』(アントニオ・タブッキ)でも、私はそのようなインドの魅力を感じました。

さまざまなものが混在し、その一つ一つが強烈なエネルギーを持っていて、それでいて深い憂愁をたたえている。それらはわかりやすく解決できるものではなく、また破綻していたり未完成だったりするのですが、それも含めて大きな安らぎのようなものがあったように思います。

国を超え人種を超え、人々を魅了するインド。今年の夏は、そんなインドの物語にちょっとだけ触れることができ、楽しい時間を過ごせました。

想像してくれ。私は読者だ。とても批判的な読者だ。そしてその読者が言う。「私は読みたくない。あなたの見たインドを。そうではなくて、私の人生への答えが欲しい。あなたの物語から」。そういう「私」はインド人かもしれない。ドイツ人かもしれない。それが誰であっても。日本人であったとしても。

――『月をたれたる』

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