まだまだ暑い日が続いていますが、暑さ寒さも彼岸まで、というように、お盆を過ぎて少しだけ風が涼しくなってきたように思います。
夏は来るたびに早く終わってほしいと思うのですが、いざ終わりが見えてくると、どこか淋しいような郷愁を感じる季節ですね。みなさまはいかがお過ごしでしょうか。
さて、私は先月、不思議なご縁である人からいきなり漢和辞典をいただきました。
実は私は大学時代、宗教学のゼミに入って禅宗を勉強していました。大学を卒業後も、その分野への関心が続いていたので、いつか禅籍を原文(漢文)で読めるようになれたらいいのになー、なんてことを思っていました。
そんな折、初対面の方から唐突に漢和辞典をいただいたので、本当に驚きました。そして、せっかくいただいたのだから、これを使わないのは申し訳ないな、と思い、漢文の勉強を始めてみることにしたのです。
でも、漢文なんて遠い学生時代にちょこっと触れただけ。とてもじゃありませんが、すらすら読めるようになんてなりません。
受験用のテキストを買って開いてみても、並んでいるのは漢字なのに全然読めない……。美しいはずの漢詩も、いまだにただ漢字が並んでいるだけにしか見えない……。シクシク……。
けれど、勉強していくうちに、面白いなと思う部分もたくさん出てきました。その一つは、例文に突っ込みを入れたくならない、ということです。
英語などを勉強していると、「これはペンです」「あなたはトムですか?」のようなヘンテコな例文が出てきますよね。文法を理解するための例文だとわかっていても、「日常生活でそんなこと言わない!!」とつい反応してしまうことがありませんでしたか?
でも、漢文の勉強中は、そんなことを思ったことが一度もないのです。なぜなら、ヘンテコな例文が一度も出てこないからです。
なぜか? それは、漢文が書き言葉の言語という側面があるからではないでしょうか。つまり、読み書き専用の言語だから、テキストも不自然なものがないのです。
井蛙不可以語於海(井蛙以て海を語るべからず)
=井戸の中のカエルは海を語ることができない
有如時雨化之者(時雨(じう)のごとく之を化する者有り)
=ちょうどよい時に降る雨のように、人を感化することがある
私も不勉強ゆえ、ヘンテコ例文が出てこない理由が、本当に書き言葉だからとはっきり言えないのですが、こういう理由を考えるだけでも面白いものです。
独学なのでどこまでできるかはわかりませんが、少しずつ勉強を続けていきたいな、と思います。いつかまた、経過を報告できたらいいですね。
少年易老学難成(少年老い易く学成り難し)
=若者も年をとるのは早く、学問はなかなか成就しない
有所不足、不敢不勉(足らざる所有れば、敢へて勉めずんばあらず)
=足りないところがあれば、努力しないわけにはいかない