児玉源太郎無くして台湾の近代化無く、
日本精神(リップンチェンシン)無くして大政治家・李登輝誕生せず、
李登輝無くして民主国家台湾の誕生無し
1898年、第4代台湾総督に就任した児玉源太郎。「難治の土地」と呼ばれ、放棄論や売却論まで唱えられていた台湾において、日本住民も台湾住民も幸せになることを願って奔走した児玉源太郎は、まさに日本精神の体現者であった――。
台湾の近代化に貢献した偉人として、国立台湾博物館に児玉源太郎の銅像が置かれていることを知る人は少ない。今日につながる日台友好の礎を築いたその功績と生涯に迫る。
『台湾を目覚めさせた男 児玉源太郎』
木村健一郎・著
1,700円(税抜)
Amazonの歴史ノンフィクション部門・新着ランキングで1位獲得!
amazon.co.jp
目次
児玉源太郎とは…
1852年(嘉永5年)、長州毛利徳山藩に生まれる。
1898年、第4代台湾総督に就任。民政長官・後藤新平とともに当時「難治の島」と呼ばれていた台湾統治にあたり、台湾の近代化に貢献した。
李登輝元台湾総統も「児玉源太郎がいなかったら、今の台湾はありませんでした。児玉源太郎は台湾の恩人です」と語ったように、児玉源太郎は今日につながる日台友好の礎を築いた人物だといえる。
台湾の近代化に貢献した偉人として、国立台湾博物館には児玉源太郎の銅像が置かれている。
内容紹介
【目 次】
1.台湾篇
2.生い立ち篇
3.軍人篇
4.日露戦争篇
5.戦いのあと篇
6.資料篇
1898年、第4代台湾総督に就任した児玉源太郎。
「難治の土地」と呼ばれ、放棄論や売却論まで唱えられていた台湾において、日本住民も台湾住民も幸せになることを願って奔走した源太郎の業績を紹介。これまで軍人としての功績しか語られてこなかった児玉源太郎の「政治家」としての一面に迫る。
さらに、さかのぼってその生い立ちから軍人になってゆくまで、そして台湾統治後の日露戦争での活躍、惜しまれながらの死までの生涯をたどる。その一生を通して、生き生きとした源太郎のキャラクターを伝える。
≪児玉源太郎の特徴≫
・小さい(身長150㎝)
・声大きい
・明朗快活
・短気
・涙脆い(女義太夫「阿波の鳴門」を聞いて手放しで泣いたエピソードがある)
・いたずら好き
・人に仕える達人であり、人を使う達人
・抜群の事務能力
・何ごとにも前向き
・公平、無私、廉潔
・合理主義、現実主義
・嫌みの無いさっぱりした性格
・脳の働きの電光石火の如し ・・・etc.
巻末には、元西日本台湾学友会会長 柳原憲一氏と著者・木村健一郎の対談を収録。
また、櫻井よしこ氏の推薦文のほか、児玉源太郎顕彰会会長 山下武右氏、台北駐福岡経済文化辦事處 處長 陳忠正氏の推薦文を掲載!
メディア情報
■読売新聞 福岡地域欄(2021.7.22)
■読売新聞 岩柳・周南地域欄(2021.7.28)
↓以下のオンライン記事で全文が読めます
児玉源太郎の評伝出版 前周南市長
■読売新聞 全国版 広告(2021.7.30)
■中国新聞 周南・山口地域欄(2021.8.29)
↓以下のオンライン記事で全文が読めます(有料記事)
児玉源太郎の台湾時代に光 前周南市長・木村さんが評伝出版
■朝日新聞 山口東部版(2021.8.29)
amazon.co.jp