邪馬台国121号サンプル
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8出雲の国譲りの話は、およそ、つぎのようなものである。なお、出雲の国譲りの話は、『古事記』『日本書紀』で語られているばかりではない。『出雲国風土記』『出雲の国くにのみやつこのかんよごと造神賀詞』などの文献にも記されている。出雲を中心とする世界・葦原の中つ国は、大国主の神が治めていた。高天の原の神々は、建たけ御み雷かずちの神かみをつかわして、大国主の神がおさめる葦原の中つ国を、高天の原勢力に譲るよう談判をした。この高天の原勢力は、北九州方面の勢力であったと考えられる。たとえば、『古事記』は、出雲との国譲りの交渉を、つぎのように記している。「建たけ御み雷かずちの神かみと天あめの鳥とり船ふねの神かみの二は2、二〇一三年)出雲の国譲り神話話は、出雲の国譲り伝承からはじまる。『古事記』『日本書紀』の神話の伝えるところによれば、しらの神は、出いずも雲の国の伊い那な佐さの小お浜ばまにくだり到着して、十と掬つかの剣を抜いて、さかさまに浪なみのさきに刺さしたて、その剣のきっさきに足をくんですわって、大国主の神にたずねてのべられた。『天あま照てらす大おお御み神かみと高たか木ぎの神かみのご命令で、お前の意向をたずねるために派遣されたものだ。お前が図1 日本産樹木年輪の示す炭素14年代とIntCa109との比較横軸の西暦年260年~270年のところで、炭素14年代(BP)の値が、急激に、大きく下がっている。グラフは、『国立歴史民俗博物館研究報告』第163集〔2011年3月刊〕による。炭素14年代(BP)較正年代(cal.)(西暦年)

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