邪馬台国137号 試し読み
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179  ご当地「邪馬台国」論争 ─諸説紛々、卑弥呼もいろいろ令和の時代を迎えても、三〇〇年以上の論争が続く邪馬台国の所在地や倭の女王・卑弥呼の墓などは、依然として謎のまま。日本全国で学者や在野の研究者、作家らが比定地として取り上げ、「古代のわがまちこそ邪馬台国」と名乗りを挙げた候補地は、少なくとも四〇箇所以上に上る。畿内、北部九州、吉備、出雲など古代史の重要地点をはじめ、関東・北陸・東海・中部から沖縄・奄美地方に至るまで。中には、魏志倭人伝(以下、倭人伝と略)の解釈と想像を膨らまし、ジャワ・スマトラ説やエジプト説といった珍説・奇説を唱えた研究者?もいたという。諸説の「根拠」もまたいろいろだが、考古学的調査をもとにした論争によると、畿内説では三輪山の麓に形成された「古代都市」とされる纒向遺跡(奈良県桜井市)が、今や「最有力候補地」としてブッチギリの独走態勢。平成の初めまでは、北部九州各地の鉄器の出土状況や大規模環濠集落を持つ吉野ヶ里遺跡(佐賀県神埼市)の発見(一九八六年)などで九州説が優位に立っていたが、二〇〇九年に纒向で大型建物跡等が見つかって以降、「形成は完全に逆転した」と鼻息が荒い研究者もいる。しかし、畿内説から九州説(筑後山門説)に転じた新井白石をはじめ、明治期に畿内説の内藤湖南(京大)と大論争を交わした東大の白鳥庫吉(筑後山門説)、倭人伝の伊都国以遠のクニグニへの里程を放射状に読む「放射説」で有名な東大の榎一雄(筑後御井説)らによる伝統的な九州ご当地「邪馬台国」論争│諸説紛々、卑弥呼もいろいろ    編集部【総力特集】邪馬台国論争最前線

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