ペッギィちゃんの戦争と平和 青い目の人形物語 試し読み
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12にしました。日の丸の旗と星条旗をかかげて、ペッギィちゃんを歓迎した日から二十年足たらずのうちに、世よの中はこんなにも変わるものか……。ミッドウェー海かいせん戦で敗やぶれ、山やま本もと五い十そ六ろく連れんごうかんたい合艦隊司しれいちょうかん令長官の戦せんし死や、アッツ島の守しゅびたい備隊が全ぜんめつ滅と、戦せんそう争の雲ゆきは当時の日本にとって良くない状じょうきょう況となっていたのです。集まってきた先生たちを前にした校長先生は、さっそくペッギィちゃんへの軍ぐんぶ部からの命めいれい令を伝つたえました。先生たちは重おもくる苦しい顔で皆みなだまっていました。職しょくいんしつ員室の窓まどべ辺に、夕ゆうや焼けの雲がかげりかけた秋の暮くれです。その時、女学校を卒そつぎょう業したばかりの若わかい縄なわ田たマツエ先生が、「校長先生!」と呼びかけ、しばらくためらっていましたが、「ペッギィちゃんは、わたくしに預あずからせてください……」と立ち上がりました。先生たちは、ざわつき始はじめました。やがて温おんこう厚な校長先生が、「軍ぐんや警けいさつ察には、始しまつ末しました、と言っておきましょう。マツエ先生に災さいなん難がないように、これは秘ひみつ密です……」そのあと、「人形を焼きこわしたところで、戦争に勝つとは考えられない」と、先生たちもつぶやきながら、マツエ先生の言ことば葉に深ふかく感かんしん心していました。これは私わたしの想そうぞう像ですが、マツエ先生は、ペッギィちゃんが大隈小学校へ親善使節としてやってきた昭和二年(一九二七)の頃ころには、ちょうど小学六年生ぐらいだったかもしれません(歓迎の記きねん念写しゃしん真に写うつっていたかもしれない)。それから十六年の歳さい月げつを考えると、

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