ペッギィちゃんの戦争と平和 青い目の人形物語 試し読み
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11ペッギィちゃん ―大隈小学校―和の親善使節」であったはずの青い目の人形は、「竹やりで刺さし、焼やき捨すてよ」と軍ぐんぶ部から命めいれい令が出ました。その頃の学校といえば、英えいご語やベースボール、テニスといったスポーツ用語は禁きんし止となっていました。“勝かってくるぞと勇いさましく、誓ちかって国を出たからは……”“守まもるも攻せむるも黒くろがね鉄の浮うかべる城しろぞ頼たのみなる……”といった軍ぐんか歌が朝から鳴なりひびくような学校の空気だったのです。そのようなとき、黒い襟えりしょう章をつけた憲*けんぺい兵と警けいかん官が連つれだって学校へ来て、校長先生を呼び出して、「この学校にも、青い目の人形がいるだろう、子どもたちに竹やりを持もたせ、刺しこわし、焼き捨てよ」と、命令して帰りました。 「ママア」と抱だき起おこせば可愛い声をあげるペッギィを、「子どもたちに竹やりで刺しこわせなどと……」と、当時の上野勝郎校長先生は困こまった顔で校長室へ戻もどり、放ほうかご課後、そのことで職しょくいん員会議をすること昭和2年5月、歓迎の式での大隈小学校の子どもたちと先生*憲兵=とりしらべの兵隊さん

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