ペッギィちゃんの戦争と平和 青い目の人形物語 試し読み
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9ペッギィちゃん ―大隈小学校―た話が伝つたえられています。また、アメリカの子どもたちが、三ドルほどのお小こ遣づかいを寄よせ合って、それぞれの人形の衣いしょう装代だいにしたという記き録ろくも残のこされています。 ギューリックさんの願ねがいは、太たいへいよう平洋の海を挟はさんで向かい合っている日本とアメリカが、政せいじ治の問もんだい題をめぐって対たい立りつするようになってきたのを見て、子どもたちの関かん係けいから、まず互たがいの理り解かいと友情の基*きそ礎をつくりたいということだったのです。こうして、昭和二年(一九二七)、たくさんの人形を乗のせたサンフランシスコからの船「サイベリア号」が横よこはまこう浜港に到とうちゃく着しました。そのあと、船は日本全ぜんこく国の各かくち地へ向かい、一万二千体もの友情の人形が日本の子どもたちへ届とどけられたのです。このとき、日本からも、この年のクリスマスに、日本の人形が「お返かえしの使しせつ節」としてアメリカに渡わたり、各地で歓かんげい迎されたとの様ようす子が記録にあります。大隈小学校に贈られてきたペッギィちゃんは、大だいかんげい歓迎を受うけ、学校だけではなく、町をあげてお祝いわいの式しき典てんが催もよおされました。講こうどう堂の演えんだい台に立ったペッギィちゃんは、野の口ぐち雨うじょう情作さく詞しの“アメリカ生うまれのセルロイド”ではなく、木くずを化かがくのり学糊で混まぜ合わせて型かたどり、油ゆせいとりょう性塗料で仕しあ上げられていました。身しんちょう長は四十センチほどで、寝ねかせると目をつぶって眠ねむり、体を起おこすと、「ママア」と声をあげる可か愛わいい人形で、衣装トランクには何なんまい枚かの洋ようふく服も持っていました。講堂には手に日の丸の旗はたや、アメリカの国こっき旗を持った子どもたちが入場してきて、先生のタ*クトで、「青い目の人形」を合がっしょう唱しました。*基礎=基きほん本となるもの。*タクト=指しきしゃ揮者が振ふる指しきぼう揮棒。

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