ペッギィちゃんの戦争と平和 青い目の人形物語 試し読み
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15ペッギィちゃん ―大隈小学校―戦争中、日にちべいしんぜん米親善の使しせつ節であったはずの青い目の人形たちは、“敵てきせい性人形(アメリカの人形)”と目のかたきにされ、竹やりで刺されたり、焼かれたりしました。しかし、「人形に罪つみはない」と、心ある人に救すくわれ保ほご護されている様子が、全ぜんこくかくち国各地で話わだい題になるようになりました。それから二年ほど後に、「もともとこのペッギィちゃんは、学校の子どもたちに贈おくられたものだから……」という深ふか野の館かんちょう長さんの考えもあって、昭和六十三年五月、子どもの日に、大隈小学校へ戻もどることになりました。大隈小学校では、全校の子どもたちが体たいいくかん育館に集まって、「青い目の人形」を歌って、ふたたび歓迎の式を行いました。式には、マツエ先生が預けた弟の福沢延一郎さんの奥おくさんの敏子さん、昭和二年、ペッギィちゃんの到とうちゃく着を迎むかえたときに、この学校の高こうとうか等科二年生であったという七十二歳の森田浦さん、筑ちくほう豊教きょういくじむしょ育事務所英えいごしどうじょしゅ語指導助手のアメリカ人のジェニファ・ウォーラさんも出席しました。ウォーラさんは「アメリカと日本は永えいえん遠の友だち、ペッギィちゃんをかわいがってください」とあいさつしました。児じ童どう代表の六年生平島史朗君らに、深野館長さんから、ケース入りのペッギィちゃんが手てわた渡されると、みんなが拍はくしゅ手。そして平島君は力強く「人形まで刺すような戦争が起おきないように、人形を大切にしましょう。……長いあいだ大たいへん変だったね」と、あいさつ。豊福英之校長先生は「マツエ先生たちが人形を守まもった愛あいの心を想おもい、平和の尊とうとさをみんなで学び合いましょう……」と、お話しされました。

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