中村タイル商会創立100周年記念誌_150313
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52要としたので、日本の産業を一気に活性化した。お隣の久留米市を本拠とするブリジストンでは、当時のお金で一秒間あたり約二五〇円も利益が出るほどフル生産を続けたというし、当時まだ少なかった自動車もオート三輪車を手始めに次々に供給されだした。町も当然活況を挺するし、そのオート三輪車は商売人の重要な搬送手段となっていった。日本が伝統的に強かった繊維産業も次々に復活、一気に溢れだした米軍関係家族の洋装にも刺激されて、日本の女性たちも、もちろん男たちも、競うように和服から洋服へ流れていった。昭和27年、板付基地から米軍機出撃

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