中村タイル商会創立100周年記念誌_150313
38/108

38称して榎の實屋と言い始め、自然のままにこれが家号ともなり、今日言い伝える「エノミヤ」となったと聞き及び、今日に至る。分家には生糸商を営み、同時に酒造販売を始めた筑前太宰府の(親戚が在る)。酒名は“咲くやこの花”で、四男の吉五郎氏に受け継がれていると聞く。現在は太宰府町町長である。本家は現存の博多五町に住み、町発展のためとして、少なからぬ基金を寄贈せられ、また城主黒田様へは数度の御用献金町人として、帯刀を許されていたと聞き及ぶ。ある年の百姓暴徒の時などは、かえって大勢の農民から守られ何らの被害もなかった。現存する万行寺寺内の正門及経蔵、鐘楼等は全盛時の奉寄贈とをも聞き及ぶ。二男に生まれた我は、分家する前からの建築に関する資材の研修をしていたので、給排水、衛生設備一般に亘る化粧タイル及其の技術、資材の販売を志し、建陶業として営む事、茲に五十有余年の歳月をえて今日に至る。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です