中村タイル商会創立100周年記念誌_150313
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24り、その際の米軍特需が福岡を一気に立ち直らせた。商都の人的ノウハウもその復興を早め、福岡は瞬く間に九州一番の都市に成長していったのである。我が社もこの復興に救われたことは間違いない。日本自体もこの特需が引き金になって、経済の急復活を果たすことになった。時の大蔵大臣が貧乏人は麦を食えといっていた経済は、所得倍増論に変わっていったのである。そして時代は高度成長経済時代へ。空港があり、交通の要衝でもある福岡・博多。その焼け野原はやがて払拭され、ビルが林立しだし、西鉄電車のターミナルになった天神町や博多の歓楽街中州等が大きく変貌、更に地権者の関係で若干開発が遅れていた旧博多駅が、新駅建設時に数百メートル移動したことで駅前整備が可能になり、オフィスビル街ができ、ホテルができていった。こうして、博多の町は様相を一変していったのである。舌足らずながら、駆け足で我が社が活動した一〇〇年の博多の時代背景を見てきた。もちろん文化、その他で、いろいろ話題もあっただろうことは承知している。  さて、福岡はいま、JR駅名に「博多」の名を残しつつも一五〇万都市になり、

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