木槿の国の学校 試し読み
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93第三章 榮山浦南小学校り、小学校がわずかに七、八校あるのみだったといわれる。人口一千二百万人の朝鮮で、近代的な公立学校に通っている生徒の総数は五百人で、それ以外の私立学校は大半がミッションスクールであった。日韓併合後、朝鮮の公立小学校の生徒数は、一九一〇年に十一万八百人となり、二〇〇倍を超えた一九三七年には、約十一倍の百二十一万四百人に増えている。太平洋戦争のさなかに一九四六年には朝鮮に義務教育制度を導入する計画を立てていたといわれる。(注9)教育面では、六年以上の教育を受けた人は、大韓帝国の末に二・五パーセントにすぎなかったのがだんだん増えて行き、一九三〇年代に生まれた人々は七八%以上が一二年以上の教育を受けた。このような教育が近代化の土台となり、さらに朝鮮戦争後の韓国で本格的な産業化の基盤となった。(注10)

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