木槿の国の学校 試し読み
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92木槿の国の学校れに総督府からの補助金等を加え、小学校を増設した。一面(日本の村にあたる行政区画)に小学校一校を目標にした。保護者負担についても、朝鮮人の経済的負担をできるだけ軽減している。一方、日本人の経済的負担はそれよりも大きなものであった。併合前、全土で一〇〇校であった小学校が、五年後には四一〇校と四倍になっている。児童数も、全体六万一七〇〇人になっている。一九四三年には、官立・公立の小学校(当時は「国民学校」六ケ年)は、四二七一校となり、朝鮮人の就学児童数は、一九四万二六人と飛躍的に増加している。総督府は、初等教育のみならず、中等教育にも熱心で、「旧制中学」や高等女学校を設立する。また、高等教育の充実にも力を注ぎ、一九二四年には、京城帝国大学が創設された。一九三一年の大阪帝国大学、一九三九年の名古屋帝国大学より早かった。(注8)一九〇四年(明治三六年)当時、学校教育は主に首都ソウルに限られてお

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