木槿の国の学校 試し読み
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87第三章 榮山浦南小学校「和尚さんもやはりお寺のご出身ですか?」と尋ねると、「私はかつて日露戦争に従軍していました。この戦の中で、無むに二の親友が私の傍で悲惨な死を遂げたのです。その後私は、会社勤めをしていたのですが、そこを辞やめて彼の御みたま霊を弔とむらうためにこうしてお寺の僧になったのです」と語ってくださいました。お寺での下宿生活も、最初は一人でしたが、後に若い女性の川上(仮名)先生が同じ学校に転勤してきたことから、二人での共同生活となりました。しかし、彼女は、自慢家で、無遠慮な人でした。裁縫の学校を出たことの自慢をよく聞かされたものです。しかも最後まで下宿での生活費を少ししか出してはくれませんでした。また、ご飯を炊いたことが一度もないというので、そんなことまで教えなければなりませんでした。私の親許から使用人の金さんが時々持ってくる差し入れのおやつや果物を彼女はいつも自分のもののように遠慮なく食べている人でした。この下宿には、仲良しだった南先生を何度か連れてきたことがあります。そんな時、

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