木槿の国の学校 試し読み
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73第三章 榮山浦南小学校最初に担任したのは、一、二年生の女子の複式学級。一つの教室で合わせて八十人の児童が学んでいました(写真4)。四十人学級という今の制度に比べると、当時はその倍です。教室の中の机の数が多いため、机と机の間を通るのは人一人がやっとという状況でした。小学校入学者の数は、その後も年々増えていきましたが、当時朝鮮では男性優位の社会であったことから、親の男子に対する期待が大きく、入学児童数は、男子の方が多く、年齢も揃っていてほぼ全入に近い状態でした。反面、女子は男子より入学する児童が少なく、年齢もまちまちでした。男子は学年に一クラスの学級が編成できるのですが、女子は少ないために低・中・高学年別、つまり二つの学年を一つにした複式学級による編成となっていました。後に一度だけ人数調整の必要から四年女子学級四十名の学級担任をしたことがありますが、このケースは大変稀な例だったといえます。男子クラスは男性教師、女子クラスは女性教師が担任することが前提となっていましたが、中には例外的に元気のよい女性教師が男子の低学年のクラスを持つこともありました。

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