木槿の国の学校 試し読み
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71第三章 榮山浦南小学校昭和一四年十月、代用教員として朝鮮の全ぜん羅ら南なんどう道(現在の韓国の南西部)に住む親許の近くにある榮えい山ざん浦ぽ南小学校に勤務することになりました。この時、私は十九歳。代用教員とは、今でいうところの常勤講師です。仕事内容は、正規の教員と変わりません。初めて給与をもらった日、家に帰って、母に、「じっちゃま(おじいさん)が生きていたら、大好きなお酒を買ってあげられたのに」と話すと、母は急に泣き始めました。祖父は本当に私のことを可愛がってくれました。祖父のお蔭で女学校も卒業できたのです。父の日記には、この頃のことが次のように記されています。「十月、瓏子、教員に俸職。榮山浦南普通学校に就職す。自宅より通勤す。嘱しょくたく託教員なり。月給四十円。翌年八月講習を受け、検定試験に合格。教員の資格をとる。翌々年四月一日任官。三種教員。本俸四〇円加俸二四円。住宅料六円五〇銭」当校は、朝鮮人の子女を対象とした小学校で、校舎は日本政府によって建設され、

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