木槿の国の学校 試し読み
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70木槿の国の学校一クラス八十人の複式学級昭和一四年四月から羅州郡山さん浦ぽ面にある日本人子女を対象とした小学校に代用教員として勤務するてはずになっていました。この学校には、父と親しかった宮田校長(写真1)がおられました。ところが、私の後を継いで祖母(母の実家)の世話をする者がすぐに決まらず、朝鮮に渡ることができたのは、四月半ばのことでした。すでに当校では別の代用教員が補充されていました。そこで、郡庁に代用教員の申請をし、自宅で生け花の稽古をしたり、着物を縫ったりしていました。間もなく、父と親しかった税務署長さんより税務署に欠員が生じたので勤めてみないかとの誘いがあり、税務署での仕事をしていました。それから二か月ほど経った時、郡庁の方から代用教員として採用したいので面接に来るようにとの通知がありました。

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