こどもたちへ 積善と陰徳のすすめ
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4袁えんりょうぼん了凡の姓は袁えん、名は黄こう。字あざなは坤こんぎ儀または儀ぎほ甫ともいいました。江こうそ蘇省、呉ごこう江県の人。初めは学がっかい海と号したのですが、後に了りょうぼん凡と号しました。明の世せそう宗の嘉かせい靖年間から神宗の万ばんれき暦三十六、七年頃、わが国でいえば足利幕府末期から江戸幕府の二代将軍秀ひで忠ただの頃までに実在した人です。袁了凡は幼くして父を亡くし、貧しいくらしのなかで母親に育てられました。そのため当時、進しんし士という高い地位の官かんり吏(役人)となる科か挙きょの試験に合格する志こころざしを持っていたのです。しかし長い年月勉学を続けても、難しい試験にかならず合格する保ほしょう証もなく、亡くなった父が医者であったことから、母親の教えにしたがい医者になるための学問をしていたのです。ところが、ある日、袁了凡は慈じうんじ雲寺という寺で、雲うんなん南の人で孔こうという老人に出会いました。易えきどう道で著名な邵しょうこうせつ康節という人の正伝を受け継いだという孔老人は、袁了凡の生涯を占ったのです。占いによれば、了凡は高い地位の官吏になるための各段階の試験に次々と合格して次第に出世していくものの、寿命は五十三歳、死亡の年月日時、場所と病名なども定まっており、また結婚しても惜しいことに生涯子供には恵まれないということでした。袁了凡は孔老人の勧めにより、ふたたび、高い地位の官吏になるための勉強を開始します。するとその後の運命は、孔老人が占ったとおりことごとく的中するのでした。袁了凡はすっかり人生を遠い将来まで見通して悟さとってしまい、すべて運命だと思ってしまいました。

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