こどもたちへ 積善と陰徳のすすめ
12/19

18第二 占い以後の袁了凡の生き方孔老人が試みに私のことを色々と占うのですが、驚くことに千に一つもまちがいはないのです。すべて占ったとおりにピタリピタリと当たるのです。そこで、私は母上に申しあげて、医者になる学問をやめて、進しん士しになる試験をめざして勉強を始めました。そのころ、孔老人が私の一生についても占ってくれました。「そなたはしかじかの年には学校に入学し、しかじかの時には撰せんじん人(試験を受けるために選ばれた人)に推せんされる。進しんし士になるまでにはそれぞれの各段階の試験があるが、村の学校では十四番目の成績だ。その上の郡の学校では七十二番目、都の学校では九番目の成績で合格する。そしてしかじかの年からしかじかの年までに役人になる。給料は九十一石こく五斗との扶ふち持を得る。その後のしかじかの年には貢こうじん人となり、さらにしかじかの年には選ばれて四しせん川の大たいいん尹という高い位の官になる。しかし、その二年後には都に帰り、五十三歳の八月十四日の丑うしの時刻に、病気で死ぬる。おしいことにそなたは、一生涯、一人の子供にもめぐまれない」というものでした。このほか私に色々のことをくわしく

元のページ  ../index.html#12

このブックを見る