㈱カンサイ 60年のあゆみ
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84history of sixty years KANSAIhistory of sixty years KANSAI株式会社カンサイ 60年のあゆみ楢蔵さんがこの許認可をとれと言い出したわけですよ。そこで、設計担当が見本を作って、その見本をお互いの営業所に送受し、協会に毎月持っていき、見てもらって悪い所を聞いて帰って、また送るというのをやっていたんですよ。それを役所に申請して、合格して初めて官庁の指名に入るという。そのスイッチは特殊技術で、下の絶縁材料が全部大理石で、ものすごく重たいものでした。小野 許認可は、400アンペアまで通らんと駄目。岩宗 やっぱり、そういう面では、先代の社長は、先見の明があったんですね。やかましく言っていた。小野 そんなことを繰り返しながら、メーカーとして認められ、許可が出てから、八幡製鉄所の構内クレーンの300アンペアから400アンペアの電源スイッチを受注し、三葉の名前で入れさせてもらいました。岩宗 営業と現場のやりとりで今も心に残っているのは、よくけんかしたことです。納期が迫り、現場に頼み行ったら、平気で「そんなもん、できるか」とか言われて、よくけんかしていた。こっちは、お客さんの納期は明日までなので間に合わんと言っても、現場は平気な顔なんです。社長 納期、間に合わないのはいやだけど、それはうちだけじゃなくてね、あの当時の盤屋は、そんなに生産能力がないのに、仕事だけはとってくるんです。岩宗 しかし役所やから何とかしないといかんじゃないですか。それで、どうしたかと言うと、直接現場の製函工場に酒持参でいき、「何とかしろ」と。そしたら、「おまえ、そこまでするのか」って。「もう困ってる、1日で作れ」と。いろいろ、あのころは助けてもらった。忍田(進) 助けられたり、迷惑掛けたりしたから。我々は電気のこと全然分からないわけ。「おまえ、よう営業に行くなあ」、「県とか市の仕事をよくとれるな」って言われて。おれは、入社して1年ぐらいは、社内にいてね、経営とかの勉強をさせられていた。1年たって、見積の仕方を学んだあと、営業

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