㈱カンサイ 60年のあゆみ
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82history of sixty years KANSAIhistory of sixty years KANSAI株式会社カンサイ 60年のあゆみ井上 昭和48年(1973)ころになると、チェーン店にはもう100社ぐらい参加していた。小野 そうですよ。「関西電業」創業当時のことを知っている会社も入っていた。前の会社がつぶれて再起したときに、引っかかるのが怖いので、店に買いに来てもらったお客さんには、現金売りしかしなかった。それを知っていて、「おまえのとこ、金持ってこな、売らんかったやないか」と怒っていた会社もあった。そんな引っかかり恐怖症から、工事組合の名簿を調べた上で、こういう所だったらいいから営業に行けというように、とにかく、当時は疑心暗鬼で商売をしていた。昭和33年(1958)当時の電気工事業などはまだ業界として認められてなかったんです。ほとんどが、テレビとかラジオとか売っている電気屋さんが、ちょこちょこっと電気工事をやっているという認識しかなかった。財団とか、大手が片手間に、電気工事会社をやっていた時代です。地方では、ほとんど家電店みたいなところをめぐって訪問していたんですね。そんな大手財団なんか、こっちがすぐ行けるわけないからですね。司会 社長が入社された時代には、かなり退社する人が多かったとか。何か原因があったんでしょうか。岩宗 そうそうたるメンバーがほとんど辞めましたからね。社長が入ってくる前かな。社長 とにかく出入りが激しい時代だった。岩宗 原因があるとかじゃなくて、何かもう、ちょっとしたことで辞めるみたいだった。社長 定着率がものすごく悪かった。岩宗 だから、本社社屋を建てる時も、定着率向上は一つの要因になりましたね。前のボロ事務所では、部屋から見ていたら、試験を受けに来たやつが途中で帰ったり。それもあってね、最初は天神かどこかに、本社だけでも持っていこうかとかの話も起こったりした。司会 当時の社屋の写真とかは、どこか残っておりますか。岩宗 あのころの写真とか、あまり残ってないね。司会 三葉電機工業は創業何年ですか。忍田(進) もう55周年になります。カンサイは60年がもうすぐで、関西電業の創業が昭和29年(1954)ですから。三葉電機工業の創業は昭和33年(1958)。その4年後です。社長 私が入社した時は、黒崎窯業の仕事ばっかりだったでしょう。小野 三葉電機を作ったいきさつがあるわけね。関西電業が三葉電機工業を創ったいきさつが。忍田(進) いやいや、三葉電機製作所という会社があったんです。関連の電気とかを扱っていた。その会社の営業部長が黒崎窯業との取引がある縁で、接触があった忍田楢蔵さんに社長やってくれと頼みにきて、引き受けたのが始まりです。小野 つまり、黒崎窯業に納める盤を、門司の鍋島商店から注文受けて、それを三葉電三葉電機工業の創業悪かった定着率

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