㈱カンサイ 60年のあゆみ
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39history of sixty years KANSAI改1995~2004Reform anddevelopment stage革・発展期翌年の2003年(平成15)3月、楢蔵会長の叙勲をたたえる祝賀会が華やかに開催された。全日本電設資材卸業協同組合連合会会長・高桑健治氏が発起人代表となり、九州電設資材卸業組合連合会長の新里正雄氏その他著名な業界の方々が発起人として名を連ねている。また来賓の一人として、当時の福岡市長山崎広太郎氏が祝辞を述べている。祝賀会の席上配られた挨拶状の中で、楢蔵会長は「私が賜りましたこの栄誉は私一人のものというより、戦後50数年間にわたり、戦災復興に欠かせぬ電設資材の流通責任を立派に果してきました業界が、社会的に認められた証であると同時に皆様と共にこの勲章が頂けたものと思います…」とあくまでも謙虚である。我が国で、一つの営利企業が50年続く例は、わずか数%に過ぎないという。それも順調に売上げを伸ばし続けての50年であれば、驚異といってもいいのではないだろうか。2004年(平成16)50期、カンサイはめでたく半世紀の時を刻んだのである。ここに、カンサイ50期のデータの一つがある。記しておこう。[資本金]9,600万円、[事業]電設資材、住設機器の販売他、[出先](営業所)福岡17、佐賀1、熊本2、長崎2、宮崎2、鹿児島1、計25、[売上高]156億円(2004年〔平成16〕3月期〔見込み〕)、[従業員]186人(2004年〔平成16〕3月期)、[関連会社](株)アトム、三葉電機工業(株)50年前、資本金400万円、従業員はわずか数名、社長の制服がジャンパーに地下足袋であったというカンサイがここまで成長するとは、誰が予想しただろうか。福岡市の一角に播かれた一粒の種子は50年の歳月を経て、大きく育ち、今、たわわな果実を実らせているのだ。カンサイに関わる誰しもが深い感慨を覚えているに違いない。そして誰よりも溢れんばかりの思いに浸っているのは、初代社長の忍田楢蔵会長であろう。順調に売上げを伸ばし続けてきたといっても、平坦な道ばかりであったはずはないし、問題がなかったわけでは決してない。50年の間には、数えきれないほどの困難な状況に立たされ、行く手を阻まれた。が、電設資材の卸売業という設立時の業務をメインとして愚直なまでに守り、それに時代に即した業務を付け加えていった結果の晴れ舞台である。この一貫した企業姿勢こそが、今日のカンサイの繁栄をもたらした、秘策の一つかも50周年を迎える

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