㈱カンサイ 60年のあゆみ
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31history of sixty years KANSAI拡1988~1994Expansion period大期経営コンサルタントとして全国的にも著名な高橋秀三氏にお願いした。日本が世界一の長寿国となり、高齢化と福祉の問題が社会的に顕在化していく流れの中で始まった最初の賀詞交歓講演会としてふさわしい講師であった。ちなみに、高橋氏は以後3回も本会の講師になっていただいている。1988年(昭和63)の賀詞交歓会は旧社屋での最後のものであった。もっとも式典そのものはホテルのホールを使用したが、翌年の交歓会は新社屋に移ってからのものとなると、誰しも感慨深いものを覚えたことであろう。講師はプロ野球西鉄ライオンズの名ピッチャーとして鳴らした稲尾和久氏であった。西鉄ライオンズは現在では西武ライオンズとなり、九州人とも縁遠くなってしまったが、平和台球場とともに、西鉄ライオンズの名を惜しむ者は多い。現役からはすっかり遠ざかっていた稲尾氏であったが、まだまだ若々しい体躯と気さくな人柄で聴衆は魅了され、昭和の最後の交歓会の講師として、講演を聞いた者の記憶に長く留まっている。その他、かつての講演者として、奥村義信氏、6代目・宝井馬琴氏、後藤昌章氏、西村晃氏、都築幹彦氏、弘内喜代志氏他、最近では橋本五郎氏、田母神俊雄氏、柏木孝夫氏、辛坊治郎氏他、錚々たる話題の人が名を連ねている。1989年(平成元年)、勉常務は専務取締役に就任。関西電業のすべての業務を統括する立場に立った。1992年(平成4)3月期の決算で、関西電業は遂に、売上高113億円を記録した。前年まで4年余り続いたバブル期の恩恵もあったかもしれない。しかし、以後の売上げも100億円を下回る年はなかったことから、着実に企業体質が強化されてきた結果であることは明らかだ。組織改革による新体制が着実に根付きはじめた効果を示すものであろう。また、各地の営業拠点となっている営業所からの利益も大きく貢献していることはいうまでもない。平成になって以降も、関西電業は営業所の増設と企業買収で戦略の手をゆるめず、強気の営業方針を貫いていった。具体的には、1989年(平成元)4月に東営業所を、6月には佐賀営業所を開設し、同じ6月には北九州に本社を置く、北州電機産業株式会社を吸収合併して、小倉営業所とした。この時、1959年(昭和34)からあった八幡出張所(1973年〔昭和48〕以降は北九州支店と称していた。支店はこの1ケ所のみであった)も、小倉年商110億円を超える賀詞交歓会で招待客を迎え入れる小倉営業所開設(1992年〔平成4〕)

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