㈱カンサイ 60年のあゆみ
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30history of sixty years KANSAIhistory of sixty years KANSAI株式会社カンサイ 60年のあゆみかねてから、経営陣の中では、社屋を建てかえる時期にきているという話題が上がってはいたが、具体的に計画されることはなく、時が過ぎていた。1987年(昭和62)、カンサイは33期にして当面の目標であった50億円を超える52億円の売上げを計上した。これを機に、新社屋建設の声が一気に高まっていった。確かに、今や社員数も100人を超え、扱う業種も、設立当時からは比べようもないほど多岐にわたる地場の大企業である。博多税務署からは優良申告法人としての認定も受け、社会的評価も高い、社歴30年を誇る由緒正しい会社である。それに相応しい社屋があってもいいのではないかというのが、全社をあげての気持ちであった。それに加えて、今どきの若者は就職先の条件として、見かけのいい会社を選ぶともいわれているし、既に入社している社員にとっても、勤務先の社屋が立派であれば、それだけでも働く意欲が湧き、モチベーションが上がるのではないかという考えも作用したようだ。早速、新社屋建築が計画され具体化されていった。とはいっても、現在地では狭隘である。もっと広い敷地が必要ということで、まず土地探しから始まり、平行して新しい活動拠点となる本社にふさわしい社屋をという見地から設計図が引かれていった。こうして、博多駅に近く、国道3号線ぞいの比恵の地が選ばれた。福岡市の中心部にも近く、博多駅も福岡空港も指呼の間にある。このように利便性に富んでいる上に、九州を縦貫する3号線という産業道路に面している、さらに、新興地であるため、敷地が広く取れるなど有利な点が多々あった。建築は中央の建設会社であるが、社屋の建設を多数手がけて、地場でも評価が高い清水建設に頼んだ。かくして総敷地面積2,151.91㎡、事務所棟は鉄筋コンクリート造3階建て延床面積1,301.85㎡、倉庫棟として鉄骨造4階建て延床面積1,798.945㎡の堂々たる社屋が完成したのである。新社屋に移転したのは、1988年(昭和63)の暮れも近い11月のことであった。翌年早々には、昭和天皇が崩御され、平成の御世が始まるわずか2ケ月前のことである。関西電業では1985年(昭和60)から、毎年の年初、賀詞交歓会を開き、著名人を招いて講演して頂くのが慣例となっている。第1回目の講師は、賀詞交歓会新社屋完成(1998年〔昭和63〕)

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