㈱カンサイ 60年のあゆみ
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16history of sixty years KANSAIhistory of sixty years KANSAI株式会社カンサイ 60年のあゆみどのような企業にも、設立にあたってはそれぞれの経緯というものがある。関西電業株式会社設立のそれには、ちょっとした偶然が介在したといえるかもしれない。ここに、設立者である初代社長・忍田楢蔵の経歴書がある。これを参考に簡単に設立の経緯を辿ることにする。忍田楢蔵が大阪に本社がある株式会社関西電業社に入社したのは、1947年(昭和22年)3月のことである。この時、楢蔵は弱冠23才、敗戦のわずか2年後のことで、世の中はまだ戦後の混乱の最さなか中にあった。兵役から戻ったばかりの若者にとっては、電設資材を扱う業界は未知の世界で、そこには多くの困難が待ち構えていた。しかし、何事にも一途に取り組む熱意で、それらの困難に打ち勝ち、高い業績をあげた。それを買われて、入社わずか3年後には、九州出張所の所長を命じられ、二人の部下と共に福岡市に赴任することになった。奈良県大和郡山市出身の彼には、不慣れな福岡の地であったが、持ち前の負けん気を発揮、九州出張所長の名に恥じない好成績を産み出した。しかし、あろうことか、大阪本社が2度の不渡りを出し、倒産という悲運に見舞われてしまった。1953年(昭和28)、楢蔵29才の時である。多くの債権者が押しかけてきた。楢蔵が九州に製品を隠匿しているのではないかというあらぬ噂を立てられたうえ、隠匿品を出すようにとつるし上げられる始末であった。黎明期1954~1965Early days電気設備資材の将来性を見定めた創業者・忍田楢蔵社長の奮闘と会社発展への道今は九州の電気設備資材総合商社として名高いカンサイ(旧・関西電業)の始まりは、1954年(昭和29)、まさに我が国の高度成長期が始まったその時であった。創業者・忍田楢蔵は、先見の明で、業界の中でもまだ後進地域の福岡に本拠地を置き、その後の発展の礎を築いた。関西電業設立の経緯[表記について]・人名は原則敬称を略した。役職名を付す場合もあるが、氏名のみあるいは氏か名のみの場合もある。・社名は初出の場合のみ正式名称とし、以下は略称とした。・年については西暦年と和暦年を併記している。

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