㈱カンサイ 60年のあゆみ
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78history of sixty years KANSAIhistory of sixty years KANSAI株式会社カンサイ 60年のあゆみ所なんですね。小野 それで、当時の八幡電設から、支店という名前にせんと登録ができんと言われて、それで本社に言って、北九州支店ということに名前を格上げというか変えたのが、48年なんですよ。司会 よく分かりました。それから、昭和35年から40年までが、少し空白になっておりますが、先ほど、小野様から話がありました、西部電業の苦境はこのころですよね。その少し前あたりのこと、何か思い出すことはございませんか。小野 さっき言った仕入れ先のことなんだけど、九州では、誰も相手にしてくれんので、大阪の三星工業という配管部品屋から仕入れ、それを全部黒崎窯業に納めていたんですよ。その黒崎窯業の仕事に鍋島商店の力を借りたというわけです。社長 本当の営業所としての大阪は、結局作ってないわけ?忍田(進) いやいや、作ったのは、堺製鉄の建設が始まった時です。岩宗 ずっと後の昭和34年(1959)ですよ。社長 大阪営業所という名称は昭和29年(1954)の当初からあったわけ?小野 名前としては、大阪営業所は当時からあったんですよ。だけど、それは大阪の所長が仕入れて、ただ荷造りして、送るだけの仕入の出先機関でしてね。営業は何もしてなかった。忍田(進) 昭和35年(1960)に、堺製鉄の開設情報とともに営業部ができ、本当の営業所になった。社長 小野さんが行ったんでしょう。

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