㈱カンサイ 60年のあゆみ
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72history of sixty years KANSAIhistory of sixty years KANSAI株式会社カンサイ 60年のあゆみ井上和彦氏昭和48年入社な金物をどんどん送っていたんですよ。ただ、大阪の営業所といっても、おやじを入れて数名しかいない荷造屋です。どんな金物か知らないけれど、九州では調達できなかったんですね。小さい物が大阪から沢山送られていました。私は大阪にいたから、時々大阪の営業所に顔を出していました。今日はこれだけ送らないかんのやとか言って梱包していましたが、そういうこともあって、楢蔵さんと私は叔父・甥でもあり、大阪の船場でイトヘン商売でしたが、電気屋に来いということになった。しかし商社ならともかくメーカーですからね、電気理論が分からないで商売ができるのかと不安でした。そしたら、楢蔵さんは、「おまえ、電気のこと分からんでええ、電気を分かるやつをおまえに1人付けてやるから、それで営業せえ」と言うんです。それならということで入社しましたが、いまだに電気のことは全然知らんのですよ。営業はしましたけどね(笑)。でも、いいから来いと言われましたのでね、その後ずっと可愛がってもらいまして、最後は三葉電機工業の社長を20年ほどやらせてもらいました。楢蔵さんの後を継いでですね。感謝しております。司会 では、続きまして、井上様にお伺いいたします。昭和48年のご入社で間違いないでしょうか。井上 そうですね、入ったのは5月12日だったと思います。それまでは、ネクタイを売ったり、ゴルフ用品を売ったりしてたんですよ。そんな時に、たまたま新聞に関西電業の募集案内が載ってましたから、それならちょっと受けてみようかということで受けたんですよ。そして、会社の総務部を訪ねたら、部長が面接をしてくれましてね、その時は、部長を知りませんから、この人が社長かなと思ってました(笑)。そこで、いろいろ聞かれ、ちょっとした筆記試験を受けているところに、タタタッと社長がきて、目の前にぽーんと座ったんです。履歴書を見ながら、「そうか、そんなら明日から来るか」と言われまして、「来ます」ということで入社決定です。司会 社長さんのその時のイメージはいかがでしたか、第一印象とか。井上 そうですね、やっぱり、すごく厳しい顔をしていましたね。若い時の写真を見ても、それは、ちょっと、近くにも寄れないほど顔が殺気だっていた。忍田(進) あの時代の人は、そういう人が多いんだよ。僕がいた前の会社の船場の主人も、楢蔵さんとよく似ていた。会議の時にそろばんが飛んで来るんですよ。それから、送り状を書く時に墨をする硯でパーンと殴られたり。楢蔵さんからは怒られたりはしな

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