㈱カンサイ 60年のあゆみ
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70history of sixty years KANSAIhistory of sixty years KANSAI株式会社カンサイ 60年のあゆみ忍田 進氏昭和34年入社から、当時の15万円という金額は会社にとっても大きかったわけです。会社も支払いとか何かの資金繰りの一部に入っていたでしょうし、とにかく、彼が回っていた得意先を4、5軒回って状況確認してこいと言われました。それがまず、入社した当時の1つの大きな出来事で、それからその人の代わりに営業に出るようになりました。司会 ありがとうございます。では、続きまして、岩宗様の入社が昭和45年ということでございますので、よろしければ入社の経緯とかもふくめてお話しください。岩宗 私は、入社する前に松下電工に勤めておりました。その時に先輩から棚卸しに付き合えとか何とか言われて、前身の関西電業があった春吉の倉庫に何回か行ったことがあったんです。その後、20才を過ぎたころ、前の会社の給料がちょっと安かったので、先輩に相談していたら、この会社はいいよと先代の社長忍田楢蔵さんを紹介してくれまして、薬院の喫茶店で会いました。その時に、いきなり「おまえ、給料いくらいるんや」という話をされて、「これくらいほしいです」と言ったら、「よし、分かった。すぐ来い」と言われました。形式的には3月1日入社になっていますけど、出社したのは1月16日です。ちょうど初荷をやっているころでした。初出社で事務所に行ったら、社長も誰もいなくて、井上専務だけがおられて、あいさつしたのを思い出します。当時は、小野さんが私の上司で、いろいろ教えてもらいながら、その日から、私は営業を担当しました。入ったころは、厳しい会社という気持ちが常にありまして、営業会議といったら、もう怖くて逃げ出したいという感じでした。社長の忍田楢蔵さんが怒ったり、社員の集金成績が悪かったりしたら、よくそろばんが飛んできました。今でもそのイメージは残っています。投げつけられて、玉がパーッと飛ぶ。「あぁー厳しかったなぁ」と。司会 では、続きまして、忍田進様に。昭和34年に入社となっていますが、実際は社外取締役として入られたと伺っておりますが、そこのところの経緯をお聞かせいただけますか。忍田(進) 昭和34年です。初代カンサイ社長の故忍田楢蔵さんは、関西電業のほかにメーカーである三葉電機工業の社長にも就いておられました。で、私は34年に関西ではなく、今の三葉電機工業のほうに回されたんです。そのいきさつは、私が高等学校を卒業して、大阪の船場に就職しておりました時に、九州担当出張員で毎月九州に来ていたんですよ。その時、叔父さんである忍田楢蔵の家に泊めてもらって飯を食わせてもらっていました。宿代を浮かして、遊び金をつくろうと、2年位お世話になっていましてね。そ

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