㈱カンサイ 60年のあゆみ
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22history of sixty years KANSAIhistory of sixty years KANSAI株式会社カンサイ 60年のあゆみ大阪には、関西電業設立の当時から大阪営業所という事業所を設けていた。といっても、所長が一人いるだけで、業務も仕入れた品を荷造りして送るだけの、いわば仕入れの出先機関である。ところが、にわかに、この大阪営業所が活動を開始することになった。1960年(昭和35)、新日鉄堺製鉄所が開設されるという情報を楢蔵が掴み、大阪営業所を拠点として、活発な営業活動を開始したのだ。以後、楢蔵及び大半の社員の生活の中心は大阪に移り、毎日、毎日、堺製鉄関係者の間を回って営業、営業で明け暮れた。この間、本社をはじめ福岡周辺の営業はほったらかしにされていた。堺製鉄所が完成するまでの期間、関西電業は設備資材の供給に大きく関わり、ためにこの間の大阪営業所の売上げは桁外れに多かった。関西電業の土台は、当時の大阪で築かれたといっても過言ではないかもしれない。ただ、社長はじめ、社員が福岡に戻った時には、従来の得意先はあらかた他社に取られていて、もとに戻すのに苦労したという語り草が残っている。1966年(昭和41)、関西電業は電設系会社と得意先会社との交流と親睦をはかるために、「博栄会」という組織を作った。発会式は2月4日、古い社員は全日空機が羽田沖に墜落した日であったので、この日付けをよく覚甦った大阪営業所前進期1966~1987advance phase高度成長が続く日本経済電気設備も、住宅設備需要もニーズが高揚猛進した営業と新提案を連発!所得倍増計画が順調に推移していく中、カンサイは電気設備・住宅設備資材の総合商社として、豊かさへ向かって動き出した産業界のニーズに的確に対応した。特に、新日鉄堺製鉄所の設立には設備資材の供給面から大きく関わり、カンサイの業績向上ばかりではなく、企業としての発展の礎を築いていった。博栄会の誕生とチェーン店会

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