㈱カンサイ 60年のあゆみ
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20history of sixty years KANSAIhistory of sixty years KANSAI株式会社カンサイ 60年のあゆみカンサイの年表では1959年(昭和34)4月、初の支店・北九州支店開設とあるが、これには少し説明が必要だ。この当時はまだ八幡出張所といっており、実際に北九州支店という名称になったのは、ずっと後の1973年(昭和48)からである。当時、関西電業八幡出張所は八幡電設(日鉄電設)という会社を通じて、八幡製鉄と取引があったが、「出張所や営業所という名称では登録できない」と、八幡製鉄からいわれた八幡電設が、「出張所を支店に格上げしろ」といってきた。関西電業としては、登録してもらえないのであれば仕方がないと、名称を改めることにした。その時が1973年(昭和48)である。従って、実際には1973年(昭和48)までは、八幡出張所であった。年表は出張所設立時の1958年(昭和34)に遡って支店と表記したものだ。後でも触れるが、関西電業で支店と称する施設はこれのみであり、これも1989年(昭和64)には小倉出張所に吸収されてしまい、支店と称する施設はカンサイの組織から完全に無くなった。従ってこの北九州支店は幻の支店といっていいかもしれない。そのことはさて置くとして、八幡出張所は関西電業設立の当初から相当期間、福岡に在る本社以上に活動の拠点となった。1962年(昭和37)9月、北九州の戸畑市と洞海湾を隔てて位置する若松市を結ぶ巨大吊り橋の若戸大橋が完成。それまで陸の孤島と言われていた若松市が、一気に北九州の各市に組み込まれて、共に北九州の産業発展に寄与することとなり、同時に物流面での動きが活発となった。翌年の2月には、北九州の5市が合併して人口105万人を擁する産都北九州市が誕生した。数年前から始まっていた神武景気ともあいまって、このような北九州市の発展はここに活動拠点を持つ当社にとっては、願ってもない追い風であった。幻の北九州支店と八幡出張所

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