慰安婦と医療の係わりについて 試し読み
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221947年(昭和22)労働基準法が制定され、その6条は中間搾取の禁止、17条は前借金相殺の禁止を定めたが、娼妓はその適用を受けていなかった。1955年(昭和30)最高裁判所の前借金無効の判決が出され、1956年(昭和31)5月売春防止法により公娼制度が廃止された。1957年(昭和32)4月より施行された。以上が日本の人身売買の歴史である。⑸2)外国人医師たちがみた「日本の売買春と梅毒」の報告幕末に日本に来た外国人は226人でその7割158人は医師であった。最多は米国だが宣教医を除いた数は2位の英国が39人で最も多く、次いでドイツ、オランダ、フランスである。彼らは日本に最新の医学を伝え、医療を行なうと共に自国に報告を送ったり、著述を行なっている。それらによって当時の日本の社会の状況を知ることが出来る。⑹日本に大きな足跡を残したポンペ、オールコック、ウイリス、ニュートンの4人について述べる。⑴ポンペ・ファン・メールデルフォールト  Pompe van Meerdervoort (1829~1908)1857年(安政4)~1862年(文久2)の5年間滞在。オランダ人軍医で「政府医官」及び「日本科学調査技官」。ウトレヒト陸軍軍医学校卒。ヤパン号(後の咸臨丸)に乗船して来日。西洋医学の最新の医学の組織的教育を行なった。著書は1869年「梅毒治則」(大

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