慰安婦と医療の係わりについて 試し読み
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21児(6~10歳)の時に買い取られた者で15歳から10年くらい売春を行なわせた。その契約期間に3分の1は病で死亡しているが、生き残った者は年季明けに郷里に帰り生活し結婚する者もいた。⑶⑷1872年(明治5)6月のマリア・ルス号事件を契機として出された「娼妓解放令」(太政官通達第290号)の主な内容は「人身売買の禁止」であった。これ以後、建前上「人身売買」は禁止され、金の遣り取りは「前借金」という 貸借関係に置き換えられた。公娼と密淫売(私娼)とを区別するため、当時ヨーロッパで行なわれていた「検黴制度」を導入し規制を行った。1900年(明治33)「娼妓取締規則」で内務省は地方官委任を国家レベルに引き戻し、「貸座敷取締規制」改正で「自由廃業」も可能となる。 1957年(昭和32)「売春防止法」成立まで「前借金」の制度は続いた。日本における人身売買の歴史の起源は遠くさかのぼり、大宝・養老の律令では奴婢以外の人身売買は禁止され、平安末から室町にかけ人ひとあきない商を業とする者が横行し、文学作品に登場する。15、6世紀の地理上の発見により日本に渡来したポルトガル人達は日本人奴隷を買い込み世界各地に運び出し、秀吉が人身売買禁令を出し、伴天連追放の一因となった。徳川幕府は繰り返し禁令をだし、一般の奉公関係は身分的なものから債権的な雇用関係へと移る。こうして人身売買の系譜を持つ奉公形態は主として遊女や飯盛女などの直接生産に関係のない主流からそれたものとなり、江戸中期以降、全国的に遊女奉公人請状の体裁を整えるようになった。日本の雇用制度は

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