「福岡東ロータリークラブ40年のあゆみ」
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87私は1996(平成8)~1997(平成9)年に安恒会長の幹事を経験し、その後2001(平成13)~2002(平成14)年に会長をさせて頂きました。会長時代の思い出といっても沢山はありません。何故なら会長という大役のために懸命であったからです。当時、安恒先輩にロータリー情報委員長をお引受け頂き、年10回もの情報集会を開催して頂きました。毎回15~17名ほどの出席があり、松田尊文パストガバナーもお元気で、5・6回ほど講師をお引受け頂きました。大いに論を展開して頂き、私自身も含め大変勉強になりました。この時期にクラブにおける情報委員会の基礎と大切さを築いたように思っています。私の会長就任予定は比較的早く決まり、就任まで2年ほど余裕がありました。任期途中で体に異変が生じるといけないので、消化器系の精密検査を、もう退会されてしまいましたが、筥松の髙野胃腸外科の髙野先生に全面的にお任せして、4日間程検査入院をしました。結果、消化器系には全く異常ありませんでしたが、股関節の閉塞性動脈硬化症が見つかりました。髙野先生曰く、「純チャン、これは最終的には手術しかないから早いうちに手術した方がいい。私の九大二外科の後輩が医療センター血管外科の医長をしているので彼に任せたら…。」とのこと。そこで早速お会いし、1ヶ月の予定で入院したのですが、途中の検査でさらに心臓の冠状動脈の閉塞が見つかり、入院予定を2ヶ月に延ばして、心臓の冠状動脈2本、股関節動脈の開胸、開腹手術など13時間におよぶ手術を行いました。成功率は6:4程度だったと思います。何とか一命をとりとめ、日の目を見ることができました。その間、家族はもとよりクラブのメンバーの多くの方々の励ましを得ました。特に松本守立先生、髙野先生、安恒元会長、今は亡き成富先生、久野元会長の皆様には格別のご配慮を頂きました。おおげさな言い方ですが私の命はロータリーに救われたのです。もしロータリー会長の要請がなかりせば、検査を受けることもなく、突然の心筋梗塞で一命を落としてもおかしくない状態であったそうです。家族、ロータリーの多くの友人や仲間に大変感謝しています。会長職の大変さはクラブ内の各委員長をバランスよくコントロールすることはもとより、30周年を終えた責任あるクラブとしてどう発展していくべきかという課題への模索や、それをどう次につなげていくのかと思案することにもあります。おこがましい言い方をすれば、次なる東クラブを担って頂ける人材の育成であります。それが私2001~2002年度会長 和田 純一歴代会長が語る思い出

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