あなたも『世界の大文学』の通になる 電子ブック
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134というべきだろう。中学はカトリック系の学校、そしてパリの海軍兵学校を目ざしたけれども、受験には失敗している。その前後、アントワーヌは航空機への憧れを大きく高めていく。21年には兵役に服して、念願の飛行操縦士になった。除隊後は意にそわぬ会社員暮しをする一方、女性作家ルイーズ・ド・ヴィルモランとの苦しい恋、そして破局。26年。だから26歳、航空会社に入社した彼は、主にフランス南部のトゥルーズとカサブランカ(現、モロッコ王国)の間を結ぶ郵便輸送に従事している。ほどなくこの路線は、南に広がるサハラ砂漠をこえてダカール(現、セネガル共和国首都)まで延長された。そのサハラ砂漠の中に設けられた中継基地キャップ・ジュピーの飛行場長となった彼は、余暇を利用して1つの物語を書く。『南方郵便機』(28年)がそれで、これは航空文学の先駆をなすものといわれている。翌29年、別の航空会社に転職した彼は、南米アルゼンチンのブエノスアイレスにアエロポスタル社の支配人として赴任。何人もの先輩たちと共に、南米における航空路の開拓に従事している。それらはやがて、大西洋を超える路線、つまりアフリカやヨーロッパをも結びつけるものとして発展するのだった。

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