邪馬台国122号サンプル
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8い。一発逆転は、いつもありうるわけであるから、そこに住む人々がいだいている仮説は、捨てるわけにはいかないというわけである。かくて、「証明」はなおざりに、マスコミ宣伝は、熱心にということになる。およそ不自然な仮説が、まかり通る事態となる。STAP細胞が、ほんとうに存在するのかどうかはわからない。しかし、STAP細胞以上に、「纒向=邪馬台国」は、存在のリアリティをもっているのか。さきに紹介した松原望教授は、私たちの研究を紹介した『文藝春秋』の二〇一三年十一月号でのべている。「統計学者が、『鉄の鏃』の各県別出土データを見ると、もう邪馬台国についての結論は出ています。」「私たちは、確率的な考え方で、日常生活をしています。たとえば、雨が降る確率が『〇・〇五%未満』なのに、長靴を履き、雨合羽を持って外出する人はいません。」探索問題において、確率分布地図をみながら、可能性がほとんど0ゼロのセルの地域に、やたらに潜ダイバー水夫をもぐらせる。ある人がたずねる。「どうして、可能性0ゼロの水域を優先してダイバーをもぐらせるのですか。可能性の大きいところを優先してもぐらせるべきではないのですか。」これに対して、つぎのような答えが返ってきたらどうであろう。「いやあ、潜水夫をやとう予算をとってしまいましたからね。潜水夫たちの生活のことも考えなければならないのです。」邪馬台国問題も、どうも、これに近い状態になってきているようにみえる。邪馬台国の場所を求めるという本来の目的は、どこかに行っている。理化学研究所(以下、理研)などが、STAP細胞についてのはなやかな発表を急いだのも、予算獲得の問題も関係していたともいわれる。しかし、このような方法は、公共の予算の無駄づかいになる。結局は、理研の評判を落とすことになる。考古学でも同じようなことが起きつつあるようにみえる。事情をよく知らない人は、マスコミ報道される結論だけを見て、考古学の分野でも、他の分野と同じような科学的手つづきがとられているのであろうと思ってしまう。しかし、本誌で、これまでにものべてきたように、また、本誌本号で、以下に、ややくわしくのべるように、実は、そうではない。そこでは、現代科学に共通な、基本的手つづきがとられていない。邪馬台国=畿内説の人々は、どんなに成立の可能性の小さい仮説でも、「完全に」否定されないかぎり、支持し、宣伝する価値があると思いこんでいる。そのため、いたるところに事実との撞着、相互矛盾、『魏志倭人伝』の記事の無視などがおきている。この号では、そのようなことを特集した。

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