邪馬台国122号サンプル
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レシピにしたがい、追試をして、STAP細胞が存在するか否かを、確かめることである。それこそが核心であり、先決問題である。STAP細胞が存在していたならば、小保方氏論文や、小保方氏個人にみられるもろもろの欠点などに関係なく、小保方氏を評価すべきである。それは、ノーベル賞に値するかもしれない。マスコミの評価に左右されるな。マスコミの圧力によって、いま、小保方氏をつぶすのは、時期尚早の感がある。STAP細胞が存在していなかったならば、小保方氏は、「思いこみ」によって、存在していないものを見たということになる。それは、科学史上ありふれたことである。それだけの話である。科学は、多くの研究者たちの、血と汗と涙の泥沼の中で、発見のよろこびという太陽のわずかな光をうけて咲く、白い大きな蓮の花である。花は、咲かないかもしれない。それでも、追試をしてみる価値のあるばあいがある。たとえ、その存在の可能性は小さいとしても、また、追試のために費用がかかるにしても、追試する価値があるように、私には思える。STAP細胞が存在したばあいのリターンは、追試の費用にくらべ、はるかに大きいと考えられる。STAP細胞が存在するかどうかがわからないうちに、騒ぎすぎて芽をつぶしてはならない。新しい芽をつぶすようでは、科学は、進歩しない。小保方晴子氏の事件と似ているシェーンの事件ただ、小保方晴子氏の方法によって、STAP細胞の存在が確められる可能性は、かなり低いと、私は思う。それは、小保方晴子氏のおこした事件が、過去におきた事件のなかでは、アメリカの名門、ベル研究所でおきたドイツ人物理学者、ヤン・ヘンドリック・シェーンの超伝導に関する論文捏造事件に、かなりよく似ているからである。シェーンは、多くの有力な共同研究者と連名で科学の世界で超一流のジャーナル『ネイチャー』誌に七つの論文を、『サイエンス』誌に九つの論文を発表するなどした。(小保方晴子氏の論文も、『ネイチャー』誌に発表されたものであった。)ノーベル賞の有力候補ともされた。そして、小保方氏のばあいと、シェーンのばあいとでは、つぎのような似たところがある。(1) シェーンは、紳士であった。控えめで、人柄がよく、誠実で、正直で、知識がとても豊富で、研究熱心な人とみられていた。小保方晴子氏も淑女で、問題に誠実に対応し、研究熱心な人とみられていた。不正のある

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