邪馬台国122号サンプル
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メンデルは、都合のよいデータだけをえらび、都合の悪いデータをすてる、つまり、チェリーピッキングをしているようにみえる。それが、意図的だったのか、無意識であったのかは、現在ではわからない。科学的な経歴をもたない無名の神父が、ある真実をみたのは、神の恩寵であろう。とすれば、それを世間に伝えるために、多少の手心を加えるのは、神から許されると考えたのかもしれない。手を加えても、手を加えなくても、中心となる結論には変わりがないばあい、見ばえがよくなるようにあるていど「ブラッシュアップ」をするのは許されないことなのか? それはでてこないはずの結果を出してみせるような「フレイムアップ(でっちあげ)」とは異なるのではないか。『背信の科学者たち』には、つぎのような文章もある。「ドルトンは、一九世紀の偉大な化学者で、化学結合の法則を発見し、種々の原子の存在を証明した人物だが、今日の化学者でも再現不可能なほどに美しい実験結果を発表した。」「種々の原子の存在証明」と「STAP細胞の存在証明」。「存在証明」という点で、小保方氏のばあいと似ている。小保方氏は、また、他の文献から、文章をとってきたコピペ(コピーしてノリではる)疑惑によっても、批判をうけている。て批判されている。しかし、『背信の科学者たち』には、つぎのような文章がある。「ニュートンは、重力の法則を公式化した天才だが、研究の予言性を実際以上に見せかけようとして、彼の畢生の大作『プリンキピア』の中で不適切な偽りのデータを援用した。」小保方氏は、みずからの論文中の写真に、結果をよりよくみせるための画像の切りはりをし、修正を加えたことによっても批判されている。しかし、『背信の科学者たち』のなかに、つぎのような例がのべられている。「メンデルは遺伝学を基礎づけたオーストリアの修道士である。彼が発表したエンドウに関する論文に見られる統計は事実としてはあまりにもできすぎたものであった。」つまり、そこに示されているデータは、メンデルが抱いていた理論に、統計学的にみて、偶然とはいえないほど合致しすぎているのである。メンデルの示した結果が、見事にみえたからこそ、メンデルの業績は評価された。メンデルがデータに手を加えなかったならば、注目をひかず、遺伝学の進歩は、かなり遅れたかもしれない。

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