邪馬台国123号サンプル
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6「研究方法も『モノを一つ一つ丹念に観察し、実測し、写真や拓本をとり、その形態や装飾をアタマにたたきこむだけではダメなのであって、青銅器は成分の鉛同位体比を測り、鉄器はX線検査、土器は胎土分析、石器は使用痕の研究、木器は年輪年代の測定、動植物遺存体は専門家の鑑定、遺跡の土は土壌分析と花粉分析を行い、その結果を総合しなければ本当のことはわからない』といった時代になった。資料の激増によって、梅原のやったように自分の頭脳をデータベース化していたのでは追いつかなくなり、碩学の頭脳と資料のファイルに代わってコンピューターが登場し、『考古資料に関する情報ネットワークの開発によって、学界共通のデータベースには夥しい資料が登録され、そこから引き出される情報がただちに研究資料となる』という情報革命の時代が必ず到来するであろう。そういう時代に、考古学の最新課題となるのは、いろいろの情報をいかに総合して過去を復原するかという考古資料の解釈理論であり、『考古学は報告書や図録を出版するだけが能じゃない』といわれるようになるだろう。こういう時代になって、日本考古学が梅原のやったように『資料の語ることだけがおのずから結論となる』という厳格経験主義に拘こう泥でいし続けるならば、国際学界からは『事実を積み上げるばかりで、その説明を試みない』と『峻烈な非難を浴びせられる』であろう。」「大量の情報をいかに処理して過去を復元するかが大きな課題となってきた。」「大量の情報」を処理し、「いろいろな情報を総合して、過去を復元する」ためには、統計学などは、有力な方法となりうる。これは考古学にかぎらず、他の分野でも、同じような情況がおきている。たとえば、榎えの木き英えい介すけ著『嘘と絶望の生命科学』(文春新書、文藝春秋社、二〇一四年刊)に、つぎのような文がある。「バイオ研究が歪む原因として、統計学の知識、経験不足が大きいことが指摘されている。薬の薬効も、生命現象も、非常に複雑な要素が関係しており、クリアカットに(明快な形で)成果が出ないことが多い。薬で言えば、効き目には個人差が大きく、Aさんには効いてもBさんには効かず、Cさんには副作用が出た、といった個々による反応性の違いがある。同じ人に同じ薬を投与しても、毎回同じ反応がでるわけではない。データは当然ばらつきが大きくなる。個々の反応から効き目を明らかにするには、統計学が強力な力を発揮する。年齢、性別、身長、体重をはじめとする個々の要素やデータのばらつきを統計学的に処理することで、薬や治療法が効いているかといった

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