中村タイル商会創立100周年記念誌_150313
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85the history of One hundred years NAKAMURA株式会社中村タイル商会100年のあゆみそれなりの格式を持ち、帯刀して城内に出入りした(当時の同業棟梁は吉岡氏)。若くして左官業を兄弟(絶家)にまかせ、自分は商人を志し、銀三〇貫を資本として商売を創めた(銀三〇貫は金両五〇〇両くらい)。先見の明と勤倹力行により次第に蓄財を増した。よく長崎に往来し、文化智識を得、頭初より穀物取引の外に、二、三の事業のあとに醤油醸造業を始めた。原料穀物の取扱に従い、盛んに穀物の売買(商品取引相場)をなし、段々財産を太めた。初代清作は吝嗇で蓄財に専念した(昔の財産家は通例倹約吝嗇家である)。功成り遂げたあとは、藩主に多額の献金をなし、また難民救済も心がけた。安政五年七三歳で没した(井伊大老就任の年)。世人は商人出身にあらざる商人が、在来の博多商人を尻目に商魂を発揮して一大で巨額の財を成したことに注目した。二代目清作は残された財産を利用して、益々財産を太めた。幕末の藩の財政苦しくなるにつれて、特に好遇された。大賀並を拝命し、小判の判定役を命ぜられ、盛んに城内へ伺候した。二代目の若き頃は家業に精を出す傍ら、穀物相場に天才的手腕を振ひ、一般物価並びに不動産の価格上昇とともに、最盛期は十数万両の財を握った。しかし中年以

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