中村タイル商会創立100周年記念誌_150313
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80にしよう。そのひとつは「大意」である。日本式に墨で書かれたもので、日付は嘉永三庚戍年三月となっているから、今から約一四〇年前に書かれ、中村清三(清作)、六五歳記とある。宛名はないが、記述の内容から推察して、どうやら家訓らしい。内容はこうだ。我々兄弟三人はもともと左官職の家に生まれ、いずれも左官を職業にしてきた。私は二二、三歳の頃、将来のことを真剣に考えていた。自分は二男だから父の家を継がなくてもよいので別家し、商売をしたいと父親に相談したところ、父親も同意してくれ、屋号を榎えのみや実屋とつけてくれた。その時資金として銀一貫目を父親がくれた。その金を元手に穀物仲買となり、わずかの仲買口銭を得るために、暑さ寒さをものともせずに、寝食を忘れて東奔西走、商売に精根をつくしたおかげで、三七、八歳ころには、いささか貯えも出来た。そのころ御上(福岡藩)の借金は銀二万貫あまりにのぼるとの噂が広まっていた。何とかしてわが一代のうちに銀一万貫の身代に成長して、それを藩に差し上げるこ

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