中村タイル商会創立100周年記念誌_150313
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66福岡に総本部がある同教会では、九州各地に修道院、養護施設、大学、寄宿舎等々を建設することになり、その建設に付随したタイル工事施工を受け持ったのである。場所は人吉、牧園、鹿児島市内、加治木、奄美大島・名瀬市、宮崎市内と各地にまたがり、それぞれ福岡から職人を四人一組、一ヶ月位の日程で派遣、福岡からは博幸自らが資材を車に積んで搬送していった。この搬送が大変で、まだ高速道路もない時代だったので、途中の熊本で交通渋滞に合わないように早朝の四時に福岡の事務所を出発し、午前中に鹿児島等の現場に到着、作業に間に合わせていた。今思い出すと恐ろしくなるほどの無茶な日程を組んだ仕事である。そんな資材搬送作業を役員である博幸自らが買ってでなければならないほど会社全体が多忙をきわめていた。従業員ももちろんフル稼働、そんな時代だった。事実博幸は居眠り運転で、危うく二メートル下の田畑に転落寸前ということもあったそうで、あの時転落していれば今の自分はなかったと述懐している。ちなみに、博幸は三度ほどいのちに関わるような経験をしているそうで、ひとつは昭和二〇年、中学下校中のB29の爆撃への遭遇、昭和二六年の急性腹膜炎発症、そしてこの居眠り運転で、よくもこんな時代を生き抜いてきたと感慨深げに語って

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